マインドフルネスで気づき始めたこと
効果の実感が尚早な気もするけど、マインドフルネスを始めてから、過去や未来に遭遇した(しそうな)出来事に対して、悩む頻度が減った。もう少し正確にいうと、何に「悩む」べきか、悩むべき時間を明確に選択できるようになってきた。
それが何故かを先日読んだ「頭を「からっぽ」にするレッスン」を踏まえて、再考したい。
本書で学んだように、マインドフルネスとは「今、ここ」に在ること、自分が今どこにいて何をしているかを意識すること、していることだけに100パーセントの注意を向けるということ、だった。
「別のことを考える癖」をやめる
「いまここ」に集中することは、計り知れないほどメリットがある。
マインドフルネスや瞑想の「いまここ」の意識が芽生えたことで、「行動しながら別のことを考えている癖」が自分にはあることに初めて気づいた。これは自身の内向型の思考の性質上、仕方のないことではあるが、何かを実行している最中に別のことを考えているのは意識の在り方として良くない。これは「意識で全てを制御しようとしすぎ」のTogetter記事を引用することで、根拠を省略したい。
マインドフルネスの意識を持つだけで、いまに集中できていない自分の意識の在り方を理解できたことが非常に大きな学び。
つまり、よ。
意識のせいで「本当に大切な今」を体感できていない。
例えば、普段何気なく食べている地元の白米の味が甘くて美味しいことに気づいたり、通勤時に通りかかるスーパーが朝早くから営業していることに気づいたり、真冬の静かな夜の落ち着いた時間を感じることができたり。
以前に、ムネリンがマインドフルネスの重要性を説いていたけど、こういうことだったのか〜。ネガティブは変えようとせずに放置して、パスタを食べに行けってあながち嘘じゃねえかも。悩みの風船は置いとけばよいのでした。
マインドフルネス×認知行動療法×主観と客観
アドラー心理学では「トラウマは存在しない」と断言していて、つまりは過去の体験を自分がどのように認知するかで、主観はいくらでも変容することができる。
私たちの意識の9割が過去や未来に対する不安やトラウマにあり、それらを掻き消してもがき続けていたり、不足を解消したいが故に苦しんでいる。例えば、過去に受けた心的外傷「虐待、イジメ、離婚、死別、詐欺…etc」も例外ではないらしい。
現代人は自身が作り上げた「被害者意識」を相手に投げ込むことによって、自分の感情を理解して欲しい、というコミュニケーションを実行する人が増えていると思う。多くは1次感情である「理解してもらえない悲しさ」故であるとは思うが、どうせ分かってもらえないを無闇に振りかざす人が誰かから好かれるわけはない。その行動に至ってしまうのも「意識のせい」だと思う。
過去のトラウマ体験から出来事に過剰に反応することなどは意識を使いすぎてしまうことが原因にあると思う。意識を観察しながら、ただ求められることを実行できる、自分が善と思えることを素直に実行するヒトになるには、意識で思考や行動を統制しないことから始めよう。
先読みすることが悪いわけではないけど、その多くが「他人からどう思われるか」をベースとしたものに過ぎない。ファクトをしっかり掴んで、行動結果がもたらす期待値を冷静に判断できるようにしたい。
「認知行動療法」或いは「主観と客観の使い分け」によって、自分の思い込みの癖に気付くことができた素地もあり、思考の荷物を下ろすことが上手くなったと思う。トラウマ体験を否定することで、意識を強めていないか。自分で勝手に思い込んで、客観的事実をねじ曲げていないか。事実と主観を切り離して考える訓練(認知行動療法)によって、それだけでもかなり楽になると思う。
悩む必要があるか?
いまに意識を向けることが大切だって分かったことで、「これって悩む意味ある?」って悩み始める前から選別できるようになってきた。
あまり深掘りしても意味なくね?、これって前もあってイライラしたけどどうでもいいよね?って流せるようになってきた。もしやこれは年の功なのか…。でも、20代はこれが出来なかったっすわ。
マインドフルネス、認知行動療法、主観と客観の使い分け、これらを訓練していくことによって、自分が見えている世界を少し変えられる気がする。キザっぽく言えば、過去や未来から解き放たれる気がする。