日記

【日記】極楽浄土へ連れてって

投稿日:2020年8月15日 更新日:

「特別な夏」って最高

「特別な夏」をどう過ごすか、なんて知らね。

律儀で勤勉な日本国民の皆様方が帰省自粛を厳守して下さるお陰か、確かに例年になく今年のお盆は人の往来が少ない。私の家では親戚訪問を控える契りを交わす事に難なく成功し、家に来るのは無言のお中元だけである。

この「特別な夏」って最高だよねって、夕飯に家族で話をしていた。人がいない連休が、こんなにも物静かでゆったりと過ごせるなら、これは「特別」じゃなくていい。親しい友人等も都会から地元に帰って来ない為、仕方ないから立候補して自宅警備員を担っている始末。

墓参りをするのに、普段は無神経な親父でさえマスクをせずに外出する自身を咎め、何やらぶつぶつと文句を言いながら自宅へ引き返した。Covid-19は昔から人の意見を聞かない親父のライフスタイルに影響を及ぼした。それが、何よりも怖ろしい。

このように末恐ろしい世の中だが、在宅を政府が推奨していることから、ひきこもりには最適な時代が到来した。そして、私にはこの時代に順応できる根拠無き自信がある。

それが良いか悪いかはここでは置いといて、墓参りで思い出したことがあった。

念仏を唱えながら

墓参りに行って念仏を唱えた際、この意味って何だっけ?って思ったけど完全に忘れていた。というのも、以前にひろさちやの「法然」を読むという本を読んでいて、その時に意味を学んだはずだが、即座に思い出せなかった。

あぁ、そうだった。思い出したよ。

「南無阿弥陀仏」は、①先祖への応援歌、②死んだら自分を極楽浄土へ連れてって〜っていう2つの意味がある超便利な言葉だった。明日も墓参りする予定だから、その時は意味を込めて念仏を唱える事にしよう。

そっか。他にも思い出した。

生きている間しか価値がないなんて思っちゃいけないね。

先日亡くなった俳優の三浦春馬さんについて、同い歳という唯一の共通点ではあるが(たとえそうで無くても)、自殺の報道を受け、その無念さに思い出すだけで気分が落ち込んだ。

だけど、それは現実しか見えてないよね。あの世からすれば、要は皆より先に極楽浄土へ向かって修行をされているのだと。浄土宗の世界から見れば、浄土に往きて生まれ変わったんだよね。

開眼あり走破せよ!

そうして一旦、気持ちが落ち着いたので。自分の状況ナウについて。

drikinと瀬戸弘司の対談を聴いて以降、最適化について思考を深めているところだけど、以前に考えていた実存主義とのコンビネーションによって、思考が"ハマった"ような気がする。

自然とゆるりと、最適化と実存主義が身体に浸透してきてから、今まで自分の十八番だった「他人の幸せを妬む」ことをしなくなってきた。えっ、これって開眼では!?(墓参りの効果もあってか…)

感覚を言語化すると、自分が楽しいと思うことは、他人と合致することはほとんど無いことが腹に落ちたのだと思う。自分で自分を楽しませることを、他者に依存させてはいけない。

だって、「他人の幸福」は必ずしも自分には適合出来ない。お金があっても、美人と結婚しても、楽園に住んでいても、俺はたぶん幸せにはなれない。というか、そういう社会通念で幸せを感じなくてもいいというか…。

「他人と比較しちゃいけないよ」と同じような意味ではあるけど、それとはニュアンスが少し違う。俺は他人とは違うんだっていう「傲慢」からきてるものじゃなくて、自分には合わなくても大丈夫っていう「余裕」から由来するもので。この成分の違いによるフックは全く違う。スッと腑に落ちる感覚がある。

別の角度から覗けば、本人が本当に幸せかどうかなんて分かんないし。側から見たら幸せそうに見ても、案外そうじゃなかったりするよね。拝金や承認で心を満たしても、孤独感なんて簡単には拭えない。結婚した後の方が寂しいなんて…よく聞く話や。

確証的な根拠は無いけど、30歳を越えてから感じていた「謂れのない人生の焦燥感」が一気に軽減された。アイデンティティ無くていいし、人生の目標とか必要ない。社会的な地位が変わっても、やることは一緒。今を生きる=最適化すること。

自分の存在など現世の地球の片隅にある小さな存在であり、人生は無意味だと解釈し、成功も失敗もどうだっていい。だからこそ、"念仏の功"のつもりで今を生きる。

  引用元:ひろさちやの「法然」を読む

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