あらすじ
「ピエロ」と呼ばれるフェルディナン(ベルモンド)は、不幸な結婚をしていた。退屈な生活から逃げ出したい衝動に駆られていたフェルディナンは、ふと出会った昔の愛人であるマリアンヌ(カリーナ)と一夜を過ごすが、翌朝見知らぬ男性の死体を見つけ、彼女と共に逃避行を始める。
感想
1965年公開。
ゴダール初見。…冒頭からアート感がやばい。教養とリテラシーが冒頭からプンプンするし、これ観てて疲れるやつや…。ベラスケスだことの、ルノワールだの、ボートレールだの…。ピカソとかマティスの絵も飾ってあって、あーリテラシー無い人間を寄せ付けない何かを感じる…。
映像に魅了されて、セリフが入ってこない。突然、女性が裸になってるんだが、これも意味不明。全部がもやもやしてて、映画見てる感覚ではない。これは、疲れるやつや…。わけわかんねーよ。
ベットの上で人が死んでたような気がするけど、気のせい??家に機関銃がたくさん置いて会ったり、モチーフ的に絵画やビビットカラーの家具が配置されているのは多分意味があるのだろうけど、これも初見では理解不能。
(マリアンヌが殺してたのね…)
なるほど。初期衝動で作ったようなエネルギーと、幻のような逃亡の旅と、若さと暴力と、死の匂いと、鮮やかで美しい季節と、そういうグラデーションが全て入り混じっている。フィルムカメラの淡い写りが、またこの映画の危うさを助長させていて、あぁ…人生の儚さを見ているのような…。いや、恋なのか。思春期にこれを真面に食らってたらやばかったかも。
乱雑で、暴力的で、この世界は本当に存在しているのか、また幻なのか、儚く崩れてしまいそうで、そういう世界の中に弱い自分が存在していて。美しい女性に恋をして。官能的な声や魅力に我を忘れて。リビドーとノスタルジーと、暴力と裸と、愛と恋と、我々の世界を構成している情緒的な色彩を思い出せてくれる。
こういう感情って現代に失われているような…。消費コンテンツや、分かりやすいものに囲まれた現代において、その影響下に育った人は、この感情や思想を解釈することは難しいと思う。特に、人間の精神の不安定さに対する寛容さや、世界が悲しくて美しいという思想が欠落している。哲学の教養と、孤独の体験が必須だ。あぁ、失恋も。
現代で解釈してしまうと、この映画の主題が単にナルシストでロマンチストの枠組みに収まってしまいそうだが、そういう類ではない。もっと、人間の本質的な部分を表現している。こういう言葉や映像の表現ができるコンテンツって、いま存在するのだろうか?言い換えれば、2人が惚気ているように見えて、若者には評価されにくいというか、理解できない部類に入りそうだ。
僕らは夢でできている。夢は僕らが作った。そう、美しい。
夢や、言葉や、死は美しい。愛する人よ、人生は美しい。
こんなに音楽が突然止まる演出も見たことねぇな…。ベトナム戦争の話の時に、爆弾と銃声でうるせぇし…なんやこれ。全然、映画を観てる感覚じゃない。
時が止まってほしい。君のヒザに手を置く。それがすばらしい。それが人生だ。宇宙であり感情だ。
いうても、心からこの映画に陶酔できたわけではない。人生と、愛の儚さについて、まだまだ深みが足りないのかもしれない。時代性の違いはあるけどね。
ただ、もっともっとこの世界に陶酔していい。美しさを見つけなくては…と感じた。
星評価:★★★★☆