あらすじ
廃墟と化した友引町と荒廃した友引高校。ラム達は、池と化した運動場で、ウォーターバイクに乗り水遊びに興じ、面堂終太郎はレオパルト1戦車で、友引町を探索をしている。そして諸星あたるは池辺で呆けていた。友引高校に何が起きてしまったのか。
感想
1984年公開。
学園祭の前夜祭と本祭の準備から冒頭が始まるけど、規制規制で今はこういうの許されないよなぁ。特に東日本大震災あたりから自粛ムードと社会的閉鎖感がずーっとあって、こういうのみんな待ってる。有象無象が雑多に生きていいし、毎日がお祭りで楽しそう。学校ものってやっぱりいいなぁ〜。
大人になってからみる「うる星やつら」はなんか涙出る。諸星あたるを一途に愛するラムちゃんみたいな女の子なんて現実にはいないけど、お祭り騒ぎみたいな日常があって、純粋に愛する人がいて、そんな毎日なんて学生時代しかない気もして。目指すべき日常のカタチ。
アート性の高さに慄く。クレしんのヘンダーランドは子供の頃にみて衝撃を受けた記憶があるけど、同じ匂いがする。ハチャメチャな少年漫画感はこの映画にはない。冷たくて、幻想的な雰囲気のある描写が続く。顔のないチンドン屋が出てきたりするのも、なんとなく寺山アングラの影響を受けている気もして。雲の適当な書き方なんかも適当でいいなぁ。
お、ループもの?序盤に説明が入る、同じ1日を繰り返していると。エンドレスエイトきたー!!
何が日常のリアリティなのか、非現実のバーチャルなのか。ループとか仮想現実を模した作品は、思考が巡る。世界の構造が日常と非日常によって創られているように思われるけど、どちらが本当の現実なのか、はたまた夢なのか誰も分かっちゃいねえ。なるほど、「ビューティフルドリーマー」というタイトルはそういう意味か。あれだなぁ…やっぱりデヴィット・リンチ思い出すなぁ。夢が連結するのもそうだし、夢の中で生きているのもそうだし。wikiで調べたけど、テーマは「生きることの全ては夢の世界のできごと」だったね。
例えば仕事がなくなって、学校がなくなったとして、つまりは自由であることが日常になっても、人は迷い続ける。退屈な毎日を消費し続け、これで良いのかと考えるようになる。それでも人は生きる。何のために生きるのか分からないまま生きる。ここに気づくことが始まりののであって。非日常で退屈な毎日を、お祭りにするかどうかは自分の見方次第なんだ!!!ってこういうのみちゃうと思うわけ。っていうか、これは間違いなくそういう作品だった。
今私たちが生きている日常が、実は虚像であるのでは?って思うところからスタートする。いつもと同じ日常だと思っていたのに、実は非現実の世界の中でにいるのだ。実際は現実も虚像や夢の一部なんだ。その中で遊び呆けているのも良し、気づいて本質と向き合うもいい。
電車、汽車って時空を越える乗り物なのかな。これも銀河鉄道の夜からの伝統イメージがある。廻るピングドラムもそうだったし、この辺はアニメマナーなのかもしれない。この世にいない少女がチラッと映る描写も抑えてある。路地裏の影と、太陽光の露光がうまく再現してあって、異世界が巧みに表現されている。
私たちが生きている世界は箱庭で、亀の上に乗っているだなんて。あ、これってグリッドマンの設定でもあるやない。なんとまあ、アニメではやり尽くされてる設定なんやね。ループ、箱庭、個人が創造した夢、パクりたい要素が満載。
ラムちゃんの夢だったのか…設定最高すぎる。一途に愛するラムちゃんの夢。一途で純粋だから、楽しい素敵な夢は消えない。あぁ、これは人間の卑しさもメッセージにある。永遠の夢がラムちゃんには作れる。
いいラスト。いきなりアタルの服が変わって、日常が戻ってくる。押井守監督のうる星やつら、良作品でした。
星評価:★★★★☆