感想
なぜ、この本がコワイのか
おおおおぉぉぉぉぉ!!!!!こんなにコワイ本初めてや。これ、初めて人にオススメできん本だわ。手に取ってみたはいいけど、読み進めることに何度も躊躇することになった。そもそも、本の装丁が「19世紀ロマン主義」って感じで、神々し過ぎる。
本書では、筆者自身の体験、主に「分裂人格」と対峙することへの葛藤が綴ってある。本当に実在するかのように描かれている「分裂人格」が、自分には禍々しく映り、霊感の無い自分には正直理解できない。前作よりも宗教的な観念の色合いがより強く、筆者の波動を文体から受け取るだけでハードである。
ただ、どっちかっていうと宗教的な内容であったことよりも。自分の中でコワイと思ったのは、「自分と向き合う覚悟」を試されていることだった。
あなたが、自分自身に繰り返し与えているのものが、愛であれ裏切りであれ、それは全てそのままあなたに返ってくる。あなたという個人は、あなた自身によって築き上げられているのだ。
霊的成長…
自分の場合はまだ、「ネガティブを愛すること」を読んでいて良かった。
いや、あの本を読んだ後でないと、本書は読めないかもしれない。
自分にとって都合の悪いものから目を逸らしながら、霊的成長を果たす事など出来ない。最も深い闇にこそ、真の光は存在する。この理念を、私は決して譲らない。
巷で流行りの「ポジティブ思考」とは、相反する思想であり、自分の在るが儘を受け入れるという言葉に感銘を受ける。自分もポジティブな表層部分ばかりを強化する事だけに尽力してきた。決して、努力していなかった訳ではない。そして、ようやくネガティブを含めた深層部分と対峙する時間が訪れたのだと察する。強制的にポジティブを作ることより、ネガティブを受け入れる方がしっくりくる。そして、内向性が強いからこそ、受け入れられるのだと思う。これは、誰もが受容できる考え方ではない。
自分の弱い部分を理解し、愛せない限り、同じ過ちをし続けてしまう
そうだなぁ…。完璧主義、優等生、幼児性、怒り、この辺りは自分の内に潜んでいる気がする。
分裂人格を生み出した原体験について、思い当たる節はあるけど、正確に紐解けるかどうか。また、ブログで書ける内容かどうかが微妙。過去の体験によって、抑圧された「残留思念の渦巻き」によって、自責を生み出す扉が何処かにある。
自分のステージを1つ深める為にも、少しずつ向き合いたい課題。霊感は全く無いけど、クリエイティブを通じて霊的成長を遂げたい。
これは、篠原有司男夫妻を観て思ったことにも繋がる。