【日記】映像制作のワークショップに参加してみた。

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初参加のワークショップ

映像制作のワークショップへ行ってみた。

おそらくこういう感じのワークショップは初めて参加した。
めちゃめちゃ緊張したけど行ってよかったと思えたのでブログに残しておきたい。

ワークショップの形式は
・午前:概要説明とシナリオ作成。
・午後:グループに分かれて3分程度の映像を撮る。
という構成だった。

シナリオと配役極め。

若干のレギュレーションの説明があった後、それぞれが自由にシナリオを描く。自分も初めてシナリオを描いた。

シナリオの中には”カフカの変身”をもじったような作品があったり、”時事問題”をテーマとした作品もあった。

全員がシナリオを描き終わった後、主催者側がその中から数点を選び、選ばれた人は監督となって作品を撮る。…あとで分かったけど、自分のシナリオが選ばれなくて良かった。監督は配役、撮影場所、演技指導全てをやらないといけなかった。こんなの、ワシが出来るわけ無い。

5グループに分けて、監督、カメラマン、その後に配役を決めていった。監督が配役を決める…といっても、映像作品に必要な人を会場内で見つける。キャストがいないと作品が出来ないので、このあたりから結構みんな必死になる。最終的には、演者の取り合いになっていた。

その場で制作する3分程度の映像作品とはいえ、ベテランの役者さんやカメラマンのいるグループはきちんとした作品になっていた。自分はカメラマンだったけど、とにかく言われるがままにカメラを回していただけ。初っ端だからしょうがないけど、次回参加するときはもう少し考えながら動きたいなぁ…と思ったり。

決して上手くやらない。

例えるなら、「SHIROBAKO」的な慌ただしさが常にあって、

*モノづくりの現場
・現場にあるものだけで、少人数且つ短時間で泥臭く一気に仕上げる力。
・コミュニケーションを遠慮する暇もない、何とかしないといけない状況。

が、現場にはあった。

普段の生活では頼りない人も、作品には必要で。そういう人に限って、演技をすると輝いて見える。社会不適合者にしか見えないオッサンも、その不完全さが愛おしく見える。ちゃんとしたら、負けだし全然面白くならない。不完全さを愛おしく感じて、「当たり前とのズレ」をどう面白く表現するか、日頃から考えたいねぇ…。

その他にも、小学校5年生の女の子が”監督”になったり、80代くらいのおじいさんが牛の役をやっていた。「正解」はそこにはなくて、それぞれが今見えている世界が最適解であるし、今を生きている感覚でしか描けないそれぞれの役割があるんだなぁ…なんて思いながら、カメラを回していた気がする。

「決して上手くあってはならないし、カッコつけていてはいけない」っていうのは、岡本太郎の本に書いてあったけど、本当にその通りで。

“正しみ”だけを振りかざす大人になったら、生きる意味なんてない。