あらすじ
周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。
感想
おじさま世代の方々に根強い人気のある司馬遼太郎。
長編の歴史小説を読んだの初めてだったけど、はまってしまったよね。幕末面白い。
特に物語の序盤(上巻の半分)を越えたあたりから。
司馬作品の緻密で膨大な情報量に圧倒されながら、次第に不器用な村田蔵六という人間が好きになってくる、不思議な感覚。
物語から脱線し続けることを何度も謝罪している司馬さん。
技術
学業成績(5日毎に行われる会読)の成績によって、寝床の良し悪しが決まる。前夜になると全塾生ほとんどが徹夜で勉強し、夜はロウソクの灯で異様な熱気に包まれていた。塾生自身が蘭書の和訳を行い、次の順番のものに質問する。上手く答えられれば点数がつく。 例えば福沢諭吉などは塾いる期間、勉強につかれると昼夜なしにその場に倒れて眠り、さめると机にむかった。
適塾の描写がよい。まさにフロー体験。
技術の習得に没頭する。技術で世界を変える。憧れる。
人の才覚を見抜く
性格に難がある。蔵六は人情というものを理解できない。
イネとの恋愛模様に至る描写なども、女性の気持ちが分からない現代の理系男子と全く同じ。
また火吹達磨のような出で立ちで、不細工であることは本人も自覚していたらしい。
欠点があるからこそ、愛おしく思える。そして、秀でた才能を持っている。
不器用で不細工な愛おしい蔵六が、現代にも多く存在している。
革命期に登場する「技術」とはどういう意味があるかということが、主題の一つ。
大革命というものは、まず最初に思想家があらわれて非業の死をとげる。日本では吉田松陰。そして戦略家の時代に入る。日本では高杉晋作、西郷隆盛のような存在。 三番目に登場するのが、「技術者」
「思想家」は計画の立案者であり、「政治家」は適材適所に人物を配置し、登用された「技術者」はアイデアを実現可能な計画まで持っていく。
長州でいえば思想家は吉田松蔭、政治家は桂小五郎、そして技術屋の大村益次郎。
特に現代においては人の才覚を見抜くという力が求められていると思う。自分の周りの人間に例えると誰だろうか、そして自分はどのタイプだろうか…。花神を読んで技術屋思考になりつつあるんだけど。
無欲に生きる
蔵六はその洪庵のことばをひらき、「洪庵先生のご一生がそうであったように、技術は道のために用いれるべきもので、おのれの栄達のために用いられるべきものではない。諸賢、よろしく賢察されたい」と言い、最後に、自分は長州へもどる、縁があればふたたび会うであろう、といったとき、一座のあちこちからすすり泣く声がきこえた。蔵六はさすがに感傷的になり、大きな目を宙にじっと据えている。
自身の成功のためではなく、より大きな「何か」に身を捧げること。
洪庵先生の大切な教え。
ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀歓など結果からみれば無きにひとしく、つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。蔵六のように時間的に組織のなかに存在した人間というのは、その仕事を巨細にふりかえってもどこに蔵六が存在したかということの見分けがつかない。つまり男というのは大なり小なり蔵六のようなものだと執筆の途中で思ったりした。…蔵六はあるいはそういう煙のような存在の典型であるかもしれない。
イネ
蔵六がイネに言いたかったのは、自分の寒い一生のなかで、イネの存在というただ一点だけが暖気と暖色にみちているということを言いたかったのだが、それをぬけぬけという衒気は蔵六になく、あとは闇の中で沈黙しているだけであった。
時代に求められていたのは、蔵六の「技術」だけだった。
徹底した合理主義の信徒であった蔵六は、人から好かれない。
技術を愛したのは、人から寵愛を受けなかった蔵六の逃げ道であったのかもしれない。
幕末の暗闇を生き抜いていく中で、イネの存在だけが希望だった。他の人と同様に人間愛を求めた。
徹底した合理主義者である蔵六の内側に垣間みる人間らしい心の描写が素敵だった。
幕末
攘夷という爆発的なエネルギーが渦巻く世界で、若い才能に溢れた人物が数多く輩出される。
学問に対する強烈な欲求、技術で世界を変える。そして、人間愛。
ひゃー読むのめちゃ時間かかったけど、面白かった。
100分de名著にあった、短期的合理主義と長期的合理主義、オタクには別のリーダーが必要という視点をもう少し掘り下げたい。