飛ぶ教室
1933年に発行された図書なので読むのが大変かと思ってたけど、児童文学作品ともあって1日ですらすらと読み終えることができた。ケストナーの代表作である本書「飛ぶ教室」は、光村図書から発行されている雑誌のタイトルにも引用されているらしい。
久しぶりに図書館で本を借りたけど、結構ボロボロで使い古された感がある。出版社や発行時期が違うからか、本の表紙や装丁もAmazonにあるものと違う。
貸し出し履歴を見ると、昭和62年以降止まっているのだが、これが本当だとすれば30年以上図書館に埋まってたってことか。
最初は登場人物の人柄が見えてこないけど、読み進めるほどに、その愛くるしさ、友情の豊かさと子供と大人の間にある暖かな敬愛、そして大きな人間愛に包まれる。セルジオ・レオーネの名作「Once Upon a Time in America」を初めて観た時と同じような愛の感情を抱いた。本の中でも、ケーキの描写が出てくるけど、ワンスアポンアタイムインアメリカでケーキを食べるあの大好きなシーンを思い出した。
ぼくたちは、きみたちのものです。ぼくたちがきみたちを愛する半分でもぼくらを愛してくれたら、それでいいのです。それ以上のことは、ぼくたち、望みはしません。
飛ぶ教室
ケストナー作品は「8歳から80歳までの子どもたちへ」と示されており、子供心を忘れてはいけないというのが、ケストナーの文学作品のコンセプトであるようだ。
僕たちはいつまでも子供で、長生きしても僅かに80年余りの人生である。このブログでも何度か引用しているけど、Pファンクの創始者であるジョージ・クリントンは「人類は皆、アホでスケベで甘ったれ」というメッセージを残している。
いつの日からか間違わずに生きる事を選択し、無欲で無邪気なココロを閉ざしてしまう。無欲であることが、幸福の根幹であるのにも関わらず、お金や名誉に執着してしまうようになる。登場人物の中で正義先生も本当に大好きだけど、やっぱり禁煙先生がバーで話していた次の言葉が好き。
でもぼくは、たいせつな事を思い出すひまのある人間が、もっとたくさんいてほしいと思うんだよ。金と、地位と、名誉、そんなものは、やっぱり子どもじみたものさ!それは、ただのおもちゃにすぎないんだ。そんなものは、ほんとのおとなには、なんにもならないものだよ。
飛ぶ教室
正義先生に対する子供たちの尊敬と信頼が素敵。休日に勝手に外出することは寮で禁じられていた生徒たちが、ルールを破ったときの正義先生の罰は愛と優しさに溢れている。
正義先生は過去に自分が学生だった時に、当時の師に厳しくされた経験から、自分は生徒たちに優しく接しようと考えていた。自分自身の過去を肯定するために、校則を破った子供たちに優しく接しているのだと思う。普通、過去のトラウマから信頼することができない、裏切られることがコワイから無邪気な子供たちを信頼することはできないはず。でも、正義先生は自分の過去を許すために、子供たちを〈自室に呼んでケーキを出す〉の罰に処するのだ。
優しさとか、相手への信頼ってどうするんだっけ?って考えてしまった。みんな他人に優しさを求めているけど、自分が渡すのはコワイんだよなぁ…。見返りを求めちゃうからかな…。
最後の文章も美しかった〜。
いまぼくたちがながめているこの星の光は、もう何千年も昔のものですよ。あの光線がぼくたちの目にとどくまでには、そんなに長くかかるんです。…でも、その光だけはまだ旅の途中なんです。ほんとは、もうとっくにつめたくなって、まっ暗なのに、こうしてまだぼくたちのために光っているんです
飛ぶ教室