日記

【日記】ローカルPR論

投稿日:2018年10月4日 更新日:

ローカルPR論①:蔓延る制度/アマチュア表現の尊さ

アマチュアで活躍する表現者が「ライブを観に来て!」とSNSで発信しているのをよく見かける。
その時、ふと思ってしまうこと。

・"画面"で育ったデジタルネイティブ世代が「アマチュア表現の現場」に足を運ぶだろうか。
・高価なチケット代を払い、時間を費やす気分になるだろうか。

センスのいい若者たちを「アマチュア表現の現場」に呼び込めるかどうかが、ローカルでは特に重要。具体的には後述する。そういう人たちって意外に多いと思うんだよね〜。なぜなら私が今、その状態にある…。
ここで、緊急の訂正が入る。私が決して"センスのいい若者"の部類に属さないことついては、お詫びするしかない。

SNSでの告知が全く無駄とは思わないけど、プロモーションに関してもっと効果的な手段がある気がしてならない。

現場から離れて思うのは、表現者というだけで大きな価値がある、特にローカルな場所において。人前で表現ができるというのは、上手い下手関係なく"尊い"ことだと思う。表現している方は、何をどう伝えるかで精一杯だから、PRのことまで手が届かないのは当然のことで。

現場の理不尽さを実感してしまったことで、遠ざかってしまっている。相当に表現に狂ってないと、アマチュア世界で時間とお金を削って表現者であり続けられない。

ノルマ制

ライブハウスの"ノルマ制"のシステムは未だに蔓延っている。ライブをすること自体がアマチュアの表現者たちの大きな負担になっていることは間違いない。

基本的にどのライブハウスにおいても"ノルマ制"が敷かれている。
チケット料金が2,000円の場合、3万円のノルマであれば15人のお客さんを呼べばノルマは達成する、つまりは3万円に足りない料金を実費で補填しなくていい。それ以上のお客が来ると、その分がバンドのギャラとなる。

イベントに関係なく友人を誘っても、15人集めるなんて至難の技…。特に、友達少ない人は無理な数字よ。
大体の場合、ライブに誘う人も限られていて、身内もしくは知り合いの表現者になってしまうのだ。いつまでもメンツが変わらないため、表現とコミュニケーションの幅は広がらない。相当センスが良くないとアマチュア表現の現場に行こうという発想にならない。

私が学生の時は、ライブハウス側から何で集客が出来ないのか問い詰められたりもした。客が少ない盛り上がりに欠けたライブは、表現者側に全て責任があると思っているらしい。今考えると、ライブハウス側がアマチュアの表現者を責めてどないすんねん。

ワンドリンク制

その他に、ワンドリンク制で500円とるシステムも未だに変わっていない…これは本当に意味不明。"飲み物"に500円払うってどう考えてもおかしい。酒が飲めない人は、ジュース1杯が500円という中国人もビックリのぼったくり価格である。

その理由として、ライブハウス側の主張は
・興行場法の許可を得るためドリンクを販売している。
・お釣りが出ないようにワンコインで済む500円に設定して、受付の手間を省いている

ということらしいが、私には全然納得できない。料金設定は自由なのだから、別に500円である必要はない。小さい箱ならお釣りの手間ってそんなにかからないし、でかい箱ならキャッシュレス導入すりゃいいだけじゃんね。単にライブハウスの資金源になっているだけだ。

ライブハウスはそこに興味がある人だけを呼び込む場で、蚊帳の外の人たちはこんなに高額な料金を払ってまでアマチュアの現場を観たいと思うわけがない。感性を刺激するのに、お金と時間のハードルが高すぎる。家でPCしながら、youtube観てる方が楽しいしお金もかからない。そっちへ流れるのは当たり前だから、ライブへ人が来なくなるのは何も不自然なことではない。これは、音楽業界だけの課題ではないはず。

ローカルなアマチュア表現の尊さ

一方で、ローカルに根ざしたアマチュアのライブは最高なことを知っている。
都会のデザインに塗れていない、無垢で成型されていないサブカル感や魂の熱量は、アマチュアでしか出来ない。下手で、未完成だからこそ美しい。ローカルで表現を続けているだけでも、大きな可能性を感じる。

なぜそう思うかというと、これは学生時代にローカルな表現の面白さに出会ったから。文化的刺激を現場で感じて、魂に刷り込まれたから。

私自身が実際に体感したからこそ、ローカルなアマチュア表現の現場と、その表現者たちを大切にしなくてはならないと実感している。自分に現場表現力がないから尚更、現場で活躍する人たちを応援したい。

ローカルな表現者は本当に尊い。その表現に感動して、そこから流行やムーブメント(なんか古くね?)が派生することもある。というか、派生しないといけない。地元独自の表現スタイルがあってこそ人は集まるし、新しい価値観がそこから生まれる。平凡に生きている人でこそ、時代の空気感を適切に表現できる。

ローカルなライブハウスの経営システムは完全に終わってる。都会と同じ料金設定、客引きでは成立できない。プロだけがステージに上がる現場なら分かるけど、その様式をアマチュアに当てはめても成り立つ訳がない。
家でyoutube観てる方が楽しいに決まっている。「ライブ楽しいよ、来てよ!」って言っても、簡単に会場に足を運ぶわけがない。

SNS上では顔が見えない分、相手に興味が湧かない。1度会場で話すだけで、一気に親近感が湧く。
アートな表現の場は交流を生み出しやすい。生の音/匂い/ムード、何より社交関係が生まれるのは現場が最も有効的な手段。
結局のところ、人脈作りにつながる。だからこそ、現場に行きたいと思わせる必要がある。

ローカルPR論②:体感を匂わす

アマチュア表現の現場に来る客層を段階別に分けてみると、こんな感じ。

*客層の分類
Ⅰ:自身が表現者であり、現場に良く顔を出す。
Ⅱ:お客さんとして、大体現場に来ている。
Ⅲ:(前は表現者だったまたはヘビーリスナーだった人)たまに現場に顔を出す。
Ⅳ:知識はあるけど、見に行くまでの興味を持ってない。または勇気がない。
Ⅴ:知ったとしても行こうとは思わない。

ⅠとⅡは現場感度を知り尽くして自発的に顔を出すから良いとして、ⅢとⅣに向けてプロモーションを実行していく効果的な方法は何か。

これは、「体感を匂わす」こと。デジタルネイティブ世代にあって、というかこれからは現場ではなく「家で体感できる」環境を整えるのが当然。
デジタルネイティブ世代がアマチュアの現場になんて来る訳ない。これは、しょうがない。センスのいい人たちには画面を通じて体感してくれるでいい。熱量が上がって来れば、自然に現場へ足を運ぶようになる。
ネット整備以前に比べれば、情報発信の容易さは信じられないくらい楽。だけど、それを活用できていないだけ。想像力のセンスはあるがひきこもりのデジタルネイティブ世代に対して、どうやって現場の体感を伝えるか。

写真家&ブロガーを配置

フライヤーはよく見るけど、実際現場ではどんな味がするのかを匂わせないと興味を持つはずがない。
次回のライブの宣伝はするけど、その次のプロモーションを考えてない。
そんなに難しくないのに、案外やってない。その場限りのPRが多く、"次に回す"を最適化できていない。

これは結局、アーカイブ化のお話に切り替わる。

SNSでめちゃめちゃ良かったー!って一言書いてあっても、あんまり伝わらない。
iPhoneのブレブレ画像とか、ショートムービーの音を聴いても体感が弱い。

写真家が綺麗にアーカイブを残すことによって、より体感が伝わりやすい。ついでに、動画も撮ってくれればいい。スチールカメラでも十分に、綺麗な動画が撮れる。
ブログで現場レポを書いてくれる人を誘っておく。画像と少しの言語で綴ってあれば、見てしまう。動画があれば、最高。

これは写真家の人が兼務しても良いと思う。というか、してほしい。なんか思ってしまったけど、これワシがやれることでは…。いや、うーん。現場レポは別の人に書いてもらって、写真/映像の編集&SNS拡散ぐらいならできるかも…。ブログと連動しなくても、flickrやyoutubeでもアーカイブ化していけばいい。あ、え?できるかもしれん。ライブの生配信をするのもいいと思う。全てをアーカイブ化せずに、抜粋だけ残すとかでもいい。

既存の方法でできるPR方法が山ほどある気がする。
ただ、良いものは勝手に流布されるし、今の時代には敏感に流行が反応する。1発屋で終わらないためにも、PRをあえてせずに作品をストックしてもいいのかもしれない。

対話型の創作

これはローカルに限定したことではないけど、表現するには備えておくべき心構え。

独り善がりの表現は終わった。個人ではなく組織でしかできないこと、作家だけでなくユーザー側も一緒にコンテンツを作る時代。
ニコニコ動画がいい例で、画面に流れる文字を通じて直接アーティストや視聴者同士でコミュニケーションが成り立つ。チームラボの作品群では全て観客が触って、書いて表現を作り変えていくもの。作家が表現するのはコミュニケーションの土台で、実際に動かしていくのはユーザー側になる。

それを理解した上で、アウトプットの技術を上げていかなくてはならない。人を動かすのは、体感を匂わすことを考察した。しかも楽に。自分が創ってなくても、家で座って観ていても、創作に参加できる状態を作る。実際にそういうコンテンツが売れているのは間違いない。

人がいっぱい来るんだったら、お金とって制限するのもアリだと思う。ただ、必ずしもお金に結びつける必要はないと思っていて、料金を設定するのは聴衆が溢れてしまう場合の制限手法として用いてはどうかと思う。
例えば、ニコ生でよくある手法として前半部分だけは無料で公開するようにして、最も核心に迫る部分は有料コンテンツとして後半に回すとか。有料といっても、月額500円とかハードルを下げて、若者でも観れるように設定してもいいと思う。

自分たちが楽しければそれでいいなら問題ないけど、プロモーションに少しでも興味があるなら戦略を練るべき。

ローカルPR論③:切り取って、伝える。

前回までの内容が煩雑すぎて自分でも訳がわからなくなったので、少し纏める。

第1回:「蔓延る制度/アマチュア表現の尊さ」
・拝金主義を軸とした慣例を捨てる。
・アマチュア表現の現場でしか生まれない文化的刺激/出会いがある。
・ローカルな表現は未完成であるが故に面白い。

第2回:「体感を匂わす」
・写真家やブロガーを現場に入れて、アーカイブ技術により体感を匂わす。
・現場体験のハードルが高い人のために、手軽に家で体感できる環境を整備するのは当然。
・これからの表現は一方通行ではなく、双方向の対話型になっていく。

長々と書き連ねたけど、こんな感じだった。
3回目は"ローカル表現"の具体例として、OKI DUB AINU BANDを取り上げたい。

アイヌの人たち

アイヌについて語ればキリがないのだけれど、方言、トンコリ、文様、カムイ…どれもが本当に美しい。
詳しくは、ゴールデンカムイを観てください。絶対に面白いから。チタタプ!オソマ!って言いたくなる。

アイヌを初めて美しいと認識したのは、OKI DUB AINU BANDでした。広島の宮島でライブを観た時の高揚感は忘れられない。

踊っているマレウレウの女の人がとっても美しいよな。ちなみに伝統楽器のトンコリは開放弦しか使えないらしい。難しいテクニック使ってないからこそいいのかも。
DUBとプログレの要素が強いけど、そもそもアイヌの音楽がそういう性質があるのかな?

OKIさんめちゃめちゃカッコいいんだよな…。ただ、居壁太さんもめちゃくちゃ渋くて唄声が素敵なのだ。表現に年齢とか関係ないって思う。いや、むしろ歳を重ねた方が味わいが出てくる。

これはとにかく好奇心を繋ぎ合わせ、日々教養を入れていくしかない。何年とかそういう単位ではなく、死ぬまでやり続ける。勝負は40代以降でいい。情けなくてみっともない、哀愁のあるジジイになりたい。アートに狂っていたい。人生と人間にファッキューを突きつけていたい。

何のためにローカルで生きているかを考えたい。別に考えなくてもいいけど、私は考えて生活したい。美しく生きるためのヒントが沢山あるから。ローカルの言語、食べ物、宗教性、動植物、そして生きて死にいく尊さ。これは踊ることと同義。

アイヌの人は生きていることそのものが美しい。そんなことってありますか?

切り取って、伝える。

人間の魅力は「感性」と「想像力」だ。
何を観て美しいと感じるのか、じゃあどう生きるのか。

そのために教養を染み込ませ、アウトプットすべきだ。染み込ませた教養をどんな視点から、どんなツールを使って、どう切り取るか。内的世界のタグで綴ってきたことは、結局ここに繋がる。

消費コンテンツにまみれた世界や人間は全然面白くないけど、言語、生物、民俗、ファッション、食生活あたりの視点で切り取って眺めてみると、ローカルの人間が作ってきた文化は間違いなく美しい。
また啓発っぽい内容で講釈垂れてきたので、この辺で。

ローカルPR論はこれで一旦終わり。
表現の具体例は、別タグで思考を落としていくかもしれん。

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