【日記】植田正治写真美術館

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場所

鳥取県にある植田正治写真美術館へ行ってきました。その感想を。
場所はここ。入場料は900円でリーズナブル。

美術館の様子

2F以上の展示室内は撮影禁止だったため、外観と中の様子を少しだけ。外は小雨で少し残念。

*外観

*記念写真ポイント
晴れていれば大山が一望できる(この写真では全く見えない…)
ここでシルエット調に記念撮影するのが一般的っぽい。

*掲示物

作品と感想

聖俗の間

事前にネットで調べたところ、鳥取砂丘で人物を撮影しているシュールな描写ばかりが目についたため、アートに尖っている人かと思っていた。実際に足を運んでみると展示されているモノの多くが、昭和の山陰に住む素朴なコドモたちの”生活美”を切り取った作品であり、アートの仰々しさをまるで感じなかった。少年、少女の素直な表情を映し出していた。

そうしてみると、鳥取砂丘の写真も人物の生活や佇まいを表現しているように思えた。そこにマグリット的なシュルレアリスムが融合することにより、「聖俗のバランス」が見事に調和している。

これは基礎に”山陰に住む人々の生活美”を重んじているからだと感じた。芸術表現を無理やり組み込んでアートに昇華しているのではなく、あくまでも人物の躍動感や美しさがベースにある。エロティシズムの表現は皆無で、無垢で純粋なノスタルジックな世界。それと同時に、戦争時代に生きたコドモたちの時代の変遷を垣間見てしまい、どこか悲しげにも感じてしまった。
シュールレアリスムは単なる遊びなのでは。聖なるものはお飾りであって、俗なるものが根幹を成していたと思う。

あぁだからこそ、植田正治の写真に惹かれた。

生涯アマチュア写真家

2Fの映像展示室では、植田正治のインタビューが少しだけ観れる。

その中で、私はプロの写真家ではなくアマチュアの写真家だと明言していた。
この辺りも”田舎のおじちゃん”って感じで好きだ。プロとはこういうものだ!芸術作品とは○○だ!とか言わないところがいい。ただ、これは単にプロとの対立を示している訳ではないらしい。美術館の1Fにあった図書を眺めていて次のような解説があった。

アマチュアとは、純粋にアートを楽しむという態度のこと。

拝金主義や、誰かのために作品に向き合っているわけではない。
自分が楽しいから写真撮ってる。それが純粋に作品に向き合うことだと。アマチュアでいることを肯定してもらえるのは救われる。

クリエイターは選ばれた人なのか、一握りの人間だけしかできないことなのか。歳だから無理なのか。
それは勝手に自分で呪いをかけているだけだ!!

全然まだまだだけど、二次創作少しずつネット上にアップするようになって、何となくやれそうな気がしてる。
生涯アマチュアでいい。楽しんで創作してればそれでいい。それが実現可能な時代に気づこう。

それと映像の中でもう1つ印象的だったのが、「年寄りになるのがこわい」と発言していた。
外見だけでなく、内面も年寄りになってしまうのがこわいと。柔軟で、繊細で、子供の心を持った人だったと思う。だからこそ、あんなに子供たちの写真を撮影できた。子供たちと仲良くなれることができたのだ。

こういう人間が山陰を代表する写真家であること、島根大学の講師として教育に従事されたことに感謝。

繋がると楽しい芸術

シルクハットのモチーフ、平行平面並列に群像を並べる手法は、どうしてもマグリットを想起させる。
映画で言えば、タルコフスキーの色合いと通ずるところがあると勝手に決めつけている。芸術は繋がると楽しい。