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wiki情報によると、敗戦直後の1946年に刊行されている。今から約70年前ほど。
感想
incomplete
人間は元から愚かで不完全な生物であることを受け入れ、その事実を楽しむ。
談志も「人間の業の肯定」という一言で、堕落論を解いているように。
安吾の描いている堕落は2つ
①:社会圧力に同調する「堕落」
②:人間に備わっているエゴの「堕落」
武士道の精神や自己犠牲を持つことが美徳とされやすい風潮は現代にも蔓延っている。
①:社会圧力に同調する「堕落」
日本人は背中に自己犠牲の十字架を背負っていて、その行為を美徳と感じる。
「無私の日本人」でも描かれた精神は世界中でもおそらく日本人にしか理解できない美徳感覚であり、特に江戸末期〜明治の倫理道徳・勤勉さは美しかった。
今から70年も前にそれを全否定している人がいるとは。そういう人いたんすなぁ。
合理主義者で、集団で汗をかくことや自己犠牲を伴っている行為は間違っていると。
楽であることをサボってると感じるのではなく、「最適化」と視認するだけでガラッと価値観が変わる。
一種の宗教じみた儀礼に疑問を持ち、必要ないものは全て排除。
②:人間に備わっているエゴの「堕落」
真の救済は、堕ちきった後に内面世界を見つめることから始まる。眼前にあるコトワリが虚構であるか否か、常に問いかける姿勢が必要。他人ではなく、自分自身で選択する。
堕落によって世界を破壊し、諦観から平凡を愛する。堕ちた先にある「人間の」自分を発見し、内的世界を創っていく。
答えは自分で出す、という点がなければ扉は開かない。
上っ面の美徳や精神性の縄を解いて、堕落した俗人である「私」を認識した上で孤独と寄り添い、時に対峙しながら非属を全うする道を選択する。
一度、堕落して崩壊し、各人の適性を伸ばすことに焦点を置いた最適化した生き方を問う。
社会との関わり
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
だが人間は永遠に堕ち抜くことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。
人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
内面世界を創り上げることは、他者とのコミュニケーションを円滑にする唯一の方法なのかもしれない。無論、これは内向的人間にとってのお話。
共同体感覚によって生きる道を模索し、インスパイアと技術によってコミュニケーションを実行していく。
コミュニケーションにおいて狂気を発するというのは技術がいると常々感じる。