【日記】2020の回想

  • ブックマーク
  • Feedly

2020の回想

今年の大晦日は大雪だった。20cm以上の積雪量になったのは久しぶりな気がする。

世間を賑わせているのはコロナウイルスで、行き交う人々やメディアに登場する人のマスク姿が当たり前のようになってきました。政府からは年末年始の外出自粛の要請がなされ、おそらく戦後の日本社会で最も暗雲が立ち込めている世情かと思われます。オリンピックも延期となり、2020年は確実に歴史の教科書に掲載されるメモリアルな1年。日を追うごとに感染者数が増加し、大晦日には発病者数が全国で4,000人を越え、東京では1,300人以上になったと報道がなされている。今のところ身内に発症した者は無く、今年も家族揃って年を越せそうではある。

ブログに復帰出来た経緯としては、drikinと瀬戸弘司の対談動画が契機になり、8月中旬あたりから(ほぼ)毎日ブログを更新し始めた。その成果がどうかは不明だけど、内発的動機付けが暴走してしまっていて、放っておいても教養を欲し、啓蒙主義的に「知識によって世界を把握したい」と更に勢い付いてしまった。終いには文学にまで手を染め始めていて、歯止めは効かない。しかし、この知的好奇心が今年の1番の収穫であり、自分にとっては大きな発見だった。図書館で本を借りる日が訪れるなんて、自分でも信じ難い。

そんなこんなで良く悪くも、20代後半に勝手に感じていた「正体不明の焦燥感」が掻き消され、目の前のことに取り組めている。適性を理解して、するべきこととしないほうが良いことの仕分けとか、あまり自分にも他人にも期待しないことが楽に出来るようになってきた。

特に今年の後半は脳科学なんかも勉強し始めてしまい、自分の「思考の偏り」を排除する感覚を養ってきた。自分がネガティブ思考になる9割の出来事が本来必要のない「思い込み」の時間であることが多く、対応しない・説得しない・議論しない選択肢を取れるようになってきました。扁桃体が反応する時間は主観で捉えるべき事態と対峙した場合のみであって、誰かとのコミュニケーションにおいては不要。と理解し、リアルタイムに「思考の偏り」を修正するのが自然と機能し始めた気もする。主観<=思い込み>を排除し、ファクトフルネスに出来事を観察し、客観的事実のみを抽出する。たった1つの視点で、たった1つの問題を見つけ、たった1つの答えを探さないこと。

みたいなことを、内向的に開発した1年でした。カメラ関係に特化した1年でもあったので、来年はまた満遍なく技術習得も行っていきたい。今後はやること<<<<やらないこと=フロー時間を作る。思い込みを排除し不要なことに思案せず、情動を動かすことに取り組んでいれば、事態は隆起する(はず)。それ以外のことは一切合切、考えちゃいけねえなって思う今日この頃となりました。2020年からは以上です。