古事記マウントは避けられない。
コジハラ
最近、仕事で地学について学ぶ機会があったのですが、学べば学ぶほど、我々の土地は古事記を避けられないことが分かってきました。地域のおじさんたちと仕事で話すと何かしら「古事記マウント」されることもあり、お前知らねえのかのよっていうテンションで突き放されることもあったりします。
これを別名「古事記ハラスメント」とも呼びます。略してコジハラとも言います(言いません)
でも、古事記ってゲームでめちゃくちゃ引用されてますよね。今年話題になったGhost of Tsusimaでも引用されてるし、自分が好きなアトラスのゲーム「女神転生シリーズ」や「デビルサマナーシリーズ」では、ストーリーやキャラデザに引用されてます。前に楽曲のオマージュしてました。
寺院や仏閣に限らず、出雲地域の風習や伝統行事、ライフスタイルに至るまで古事記に関係しているものが多く、無知は損というか、どうしても避けられません。この間から稲佐の浜にチルアウトしに何度か行ってますが、神話もうちょっと理解したいよねって思い始めてwikipediaやyoutubeで学び始めました。
で、古事記に出てくる神様の話ってカオスで乱暴で、訳が分からなくて相当に面白いことに気づいたので、地域のこと知るためにも少しずつインプットしようかなと思っております。
以下、お勉強した内容をまとめました。Youtubeは「まほろばチャンネル」さんのアニメーション解説を引用させて頂きました。
日本神話「古事記」とは
古事記は日本に現存する最古の書物で、「神様が日本列島を創造し、その神様の子孫は天皇家である」ってお話。その舞台のメインとなるのが、出雲地域である。古事記には、上・中・下の全3巻が存在し、神々の天地創造〜神武天皇(初代)〜推古天皇(33代)までを描いている。712年に編纂された。
ざっくり調べた感じ、古事記の上巻だけ知っておけば良さそう。上巻では、天地開闢〜国譲り(稲佐の浜が舞台)までが描かれており、中巻以降は天皇家の皇位継承がメインとなる。みんな大好きなのは上巻までらしい。
天地開闢と国産み・神産み
高天原と別天津神
天地開闢(てんちかいびゃく)とは、世界が初めて生まれたときのことを示す。最初に高天原(たかまがはら)が生まれ、三柱の神が生まれた。神は「柱」という単位で呼ぶ。続いて二神が生まれた。この五柱の神々に性別はなく、最初の別天津神(ことあまつかみ)という。
神世七代
次に、二柱が生まれた。この神々にも性別はない。その次に、五組十柱の神々が生まれ、男女で一組の神様だった。以上の七組十二柱を総称して神世七代(かみのよななよ)と呼ぶ。
神世七代の中で最後に生まれたのが、イザナギ(男)とイザナミ(女)である。このイザナギとイザナミが日本列島を創造するお話が「国産み神話」である。
国産み・神産みとイザナミの死
日本神話においては、高天原(たかまがはら)、葦原中国(あしはらのなかつくに)、黄泉の国(よみのくに)の3つに世界が分かれている。高天原に住む神々を天津神、葦原中国に現れた神々を国津神という。
イザナギとイザナミは天の浮き橋から矛で海をかき回し、地上(葦原中国)にオノゴロ島が最初にできた。オノゴロ島に降り立ち、国産み・神産みを行おうとしたが、初めは上手く出来なかった。
悩んだ二神は別天津神の下へと赴き、まともな子が生まれない理由を尋ねたところ、占いにより、女から誘うのがよくなかったとされた。そのため、二神は淤能碁呂(オノゴロ)島に戻り、今度は男性である伊邪那岐のほうから誘って再び目合った。
wikipedia「国産み」より
女から誘ったのが問題だっというのが、意味不明で良い。ちなみにイザナギとイザナミは夫婦であり、兄妹でもあるらしいけど、どうなっている?
淡路島、四国、隠岐の島、九州、最後に本州の順に産み落とした。イザナギとイザナミは国を産んだ後に、神々を産んだ。最後に生まれたのがカグヅチという火の神様でしたが、イザナミはカグヅチを産んだ際にその炎で陰部に火傷を負って、病に臥せ後に死んでしまい、黄泉の国へと行ってしまう。
黄泉比良坂
イザナギはイザナミを追って、黄泉の国へとやってくる。死後、イザナミは身体が腐敗してしまっており、また黄泉の国の物を食べてしまい出られないため、黄泉の国の神々に相談するので待って欲しいとイザナギに懇願する。
イザナミがいつまでたっても戻らないことに痺れを切らしたイザナギは、黄泉の国の扉を開け、その醜いイザナミの姿を見てしまう。自分の姿を見られたイザナミは怒り狂い、その姿に驚いて逃げたイザナギを追いかける。
イザナギは追手をなんとか振り切って、黄泉の国と葦原中国の境にある「黄泉比良坂」の坂の麓までたどり着いた。イザナギは怒り狂ったイザナミが葦原中国へ入ってこないよう、黄泉比良坂に大きな石を置いて道を塞いでしまった。イザナギとイザナミは石を隔てて、離婚することになった。
松江市東出雲町に舞台となった「黄泉比良坂」がある。現世と黄泉の国への入り口があるなんて…いつか行こうと思う。
三貴士
黄泉の国から帰ってきたイザナギは、汽水湖で身体を清めることにした。禊をしていた時も様々な神々が生まれたが、水中に入って顔を洗っている時に、左眼から天照大御神(アマテラス)、右眼から月読命(ツクヨミ)、鼻から建速須佐之男命(スサノオ)が生まれた。この3柱の神々は今まで産んできた神よりも生命力に溢れていた。この3柱を三貴士という。
イザナギは、アマテラスには高天原を、ツクヨミには夜を、スサノオには海原をそれぞれ統治するように命じた。
その中でスサノオだけが、海原を統治することを拒み、母であるイザナミがいる根の国(=黄泉の国なのかは不明)へ行きたいと駄々をこね、泣き叫んだことで天地に重大な被害を与えた。それに激怒したイザナギは、スサノオを追放することとした。(スサノオが海を治めなかったため、海は荒れるとも言われている)
アマテラスとスサノオの誓約(うけい)
スサノオは、姉のアマテラスに会ってから根の国へ行こうと考え、高天原へと昇った。スサノオが昇ると、高天原の国土が鳴り響いたため、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと思い、武装して彼を迎えた。
スサノオはアマテラスの誤解を解こうと思い、誓約(うけい)を行うことを提案した。それに応じたアマテラスはスサノオの十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕き、吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。次に、スサノオはアマテラスの勾玉を噛み砕き、それぞれから五柱の男神が生まれた。アマテラスとスサノヲの誓約で生まれた神々を「五男三女神」と呼ぶ。
天の岩屋戸
身の潔白を証明したスサノオは高天原に居残っていたが、次第に田んぼの畦道を埋めたり、御殿の周りに大便を撒き散らしたり、横暴を働き始めた。初めはスサノオをかばっていたアマテラスだったが、ある日スサノオが機織機の上から皮を剥いだ馬を投げ入れたことで、驚いた1人の天の服織女が死んでしまったことで、アマテラスはそのショックから天岩戸に引き篭ってしまった。
太陽神のアマテラスが引き篭ってしまったことで、高天原も葦原中国も闇となり、様々な禍が生じた。一説によると、これは日食を象徴しているものらしい。
八百万の神々は、対応を協議した。その中で、思金神(オモイカネ)という知恵の神様が踊ることを提案した。踊り始めたアメノウズメは桶の上に乗り、激しく踊っていた所、着ていた服がはだけてほとんど全裸になってしまった。それを見た八百万の神々は大笑いをし、それを聞いていたアマテラスは不審に思い、少しだけ戸を開けて見た所、目の前に鏡が現れてそれに見入っている一瞬の隙に外へ引っ張りされてしまった。
3種の神器
この天の岩屋戸作戦で使用された、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、そして八岐大蛇討伐の際に出現する天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が有名な「3種の神器」である。これは、皇位継承とともに天皇に受け継がれるもので、これを剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀という。
ちなみに3種の神器は、実見することが誰にも許されておらず、これは天皇も例外でないという。こういうオカルト的要素が残っている日本って最高〜。
八岐大蛇討伐
アマテラスが岩戸から出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。悪事を働いたスサノオは高天原から追放され葦原中国へと降り立った。
斐伊川の源流
葦原中国に降りたスサノオは島根見奥出雲町鳥上にある船通山へ降り立つ。船通山にある「鳥上の滝」は八岐大蛇の住処とも呼ばれ、斐伊川の源流となっている。斐伊川が古くから洪水が起きている理由が、「八岐大蛇の住処」という節もある。
スサノオは箸が流れてきた川の上流へ向かうと、泣いている老夫婦の間に美しい娘(クシナダヒメ)がいた。泣いている理由を聞くと、老夫婦にはこれまで8人の娘がいたが、八岐大蛇という大蛇に食べられてしまい、残っているのは末娘のクシナダヒメだけだという。
草薙の剣
スサノオは酒を準備させ、八岐大蛇に飲ませ酔って寝させた。その隙に十拳剣(とつかのつるぎ:イサナギがカグヅチを殺した剣と同じ)で八岐大蛇を切り刻んだ。尾を切ると、剣の刃が欠け、中から大きな刀が出てきた。これが、ゲームでお馴染みの天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、通称「草薙の剣」である。
日本初の和歌
スサノオは天叢雲剣をアマテラスに献上し、クシナダヒメを妻にして須我の地(雲南市)へ留まった。すがすがしくなったから、須賀らしい(マジ)
スサノオが須賀に宮=(現在の須賀神社)を作った時、この地からむくむくと白雲が沸き起こった。それを見たスサノオは「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と読み、これが日本初の和歌とされている。これが、万葉集、古今和歌集に受け継がれている。須賀神社は大東町にある神社で、スサノオとクシナダヒメを主祭神としている。和歌発祥の地だという。
因幡の白兎
時代は進んで、スサノオの6世代下の孫にあたる大国主命(おおくにぬしのみこと)が主人公となる。オオクニヌシの異母兄弟にあたる神々を八十神(やそがみ)と呼び、オオクニヌシは日頃から兄弟である八十神にイジメられていた。
ある時、八十神たちは因幡にいる超可愛い八上比賣(やがみひめ)に求婚するべく、揃って出かけて行った。その時、八十神たちはオオクニヌシに大きな袋を背負わせ、従者(パシリ)のようにして連れて行った。
その道中、気多の前(けたのさき)という所を通りかかると、赤裸になった一匹のウサギが泣きながらうずくまっている。これを見た兄神たちは、そのウサギに近づいて「海水を浴びて、山の頂きで強い風と日光にあたって横になるが良い」と助言する。これを信じたウサギは教えられた通りにしてみると、体中の皮膚が剥げてきてピリピリと痛み、焼けつくような痛みを覚えて泣き苦しんだ。
そこへ遅れて、オオクニヌシが通りかかった。重い袋を背負っているので、兄神より遅れてしまっていた。ウサギに事情を聞いてみると、ウサギは隠岐の島に住んでおり、本土へどうにか渡りたいと思っていた所、あることを思いついたという。
ウサギは島の近くを住んでいるサメに、この島にいるウサギとサメのどちらの数が多いかを比べようと提案した。サメが一列に並べば、その上を渡りながらサメの数を数えよう、それでどっちが多いか分かるだろうと言った。サメはずらっと並び、ウサギは内心上手くいったと思い、サメの背中を飛び続けている間に調子に乗って、「ただ本土に渡りたかっただけさ」と本心を暴露した。当然にサメは激怒し、たちまちウサギを捕まえて、皮を剥いでしまったという。
オオクニヌシはウサギの痛々しい姿を見て、川の水で体をよく洗い、川辺のガマの穂綿を敷いて、その上を転げ回りなさい、そうすれば傷も癒えるとウサギに教えた。ウサギはその通りにすると、今度は綺麗に傷が治った。ガマの穂綿を寝具に入れるようになったので、蒲団(ふとん)と言われるようになったとか。
このウサギは、オオクニヌシに八上比賣と結婚できるのはオオクニヌシだと予言した。オオクニヌシは困惑するが、実際に遅れて因幡に着いた所、八上比賣から兄神たちではなく、オオクニヌシと結婚したいとの申し出があった。それを聞いた兄神たちは憤慨し、オオクニヌシを殺害する計画を立てる。
スサノオの試練
オオクニヌシは八十神から2度も殺害される。それを知ったオオクニヌシの母親は、高天原にいる神様に相談したところ、スサノオがいる根の国へ向かうように言った。
オオクニヌシはスサノオに会うために、根の国へと向かった。スサノオの家には娘であるスセリヒメがいた。オオクニヌシとスセリヒメは目を合わした瞬間に恋に落ち、結婚の約束までした。
スサノオはそのことに気付き、オオクニヌシに試練を与えようと考えた。オオクニヌシの寝室に蛇を放したり、次の日にはムカデやハチがいる部屋で寝かせようとしたが、スセリヒメから授けられたスカーフの力を使ってなんとか乗り切った。
スサノオは広い草原にオオクニヌシを連れて行く。スサノオは弓矢を構え、自分の放った矢を拾ってくるようにオオクニヌシに命令する。オオクニヌシが草原の中へ走って行くと、スサノオはその中へ火を放った。オオクニヌシが気づいた時には完全に逃げ道を断たれていたが、近くにいたネズミが「内はほらほら、外はすぶすぶ」(穴の内側は広い、穴の入り口はすぼまって狭い)といった。
それを理解したオオクニヌシは地面を強く踏むと、穴に落ち、そのままうずくまっていると、炎は過ぎ去って行った。オオクニヌシは矢をスサノオに返すと、流石のスサノオも感心したようだった。
スサノオは家に帰ると、大きな部屋で昼寝すると言う。スサノオがオオクニヌシに頭のシラミを取るように命令した。オオクニヌシがスサノオの頭を見てみると、それはムカデがうじゃうじゃと蠢いていた。ここでもスセリヒメの助太刀が入り、オオクニヌシはなんとかやり過ごした。次第に、スサノオは寝てしまった。
オオクニヌシはスサノオが寝ているすきに、屋敷を抜け出そうとした。スサノオの髪を柱に結び、大きな石で部屋の入り口を塞いだ。スサノオの刀、弓矢、そしてスセリヒメの琴を持ち出し外に出た時、琴が落ちてしまい、その音でスサノオは起きてしまった。
逃げ出したオオクニヌシに気づいたスサノオは、暴れ出しその勢いで屋敷は壊れた。髪を解くのに時間のかかったスサノオは、黄泉比良坂に到着する頃には相当に距離が離れてしまっていた。スサノオは遠くからオオクニヌシに向かって「お前の持っている矢、刀で兄神らをやっつけてしまえ、スセリヒメを正妻にして、お前が大国主命となり、宇迦の山のふもとの岩の根に宮柱を立て、高天原に届く様な立派な千木(ちぎ)のある新宮を建てて住め、この野郎め」と言った。
国譲り
オオクニヌシは出雲国へ帰って、大国主となり(ここまでは別名オオナムチと呼ぶのが本当)、兄神たちを全て退去させた後、国造りを始めた。
スクナヒコナと幸魂と奇魂
神産巣日神の子供であるスクナヒコナと協力して、国造りに励んだ。その後、スクナヒコナは常世を去った。
スクナヒコナが去った今、オオクニヌシはこれからどうやって国を造れば良いのかと思っていた最中、海を照らしてやってくる神がいた。それは大物主神といい、大国主の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)であるという。オオクニヌシは言う通りに、大和国の東の山の上に祀った。
アマテラスは葦原中国をオオクニヌシではなく、自分の子に統治させたいと思っていた。
アメノホヒの派遣
アマテラスとスサノオの誓約(うけい)の際に、アマテラスの勾玉から生まれた2番目の男神「アメノホヒ」は、後に高天原に住むアマテラスから国譲りの交渉のためにオオクニヌシの元に派遣された。しかし、3年の間戻らずにそのまま葦原中国へ住み着いてしまった。ちなみに、アメノホヒは出雲大社の祭祀者である千家家(出雲大社教)・北島家(出雲教)の始祖である。
続いて、アメノワカヒコを派遣したが、8年経っても戻らず、最終的に死んでしまった。
建御雷神の派遣
アマテラスが八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきか聞くと、オモイカネと八百万の神々は建御雷神(タケミカヅチ)を遣わすべきと答えたので、葦原中国へ派遣した。
タケミカヅチは出雲国の稲佐の浜に降り立って、十拳剣(とつかのつるぎ)を逆さまにたて、その切先にあぐらをかいて座り、オオクニヌシに「アマテラスから自分の子が葦原中国を統治するべきだと聞いているが、お前はどう思うか」と尋ねた。
オオクニヌシは自分の前に、息子の事代主神(コトシロヌシノカミ)に答えさせると言った。タケミカヅチが美保関へ行き、国譲りを迫ると、事代主は「恐れ多いことです。言葉通りにこの国を差し上げましょう」と答えた。事代神の弟であるタケミナカタは、タケミカヅチに抵抗したものの全く歯が立たず、最後には降参した。
タケミカヅチは出雲に戻り、オオクニヌシを再度訪ねた。オオクニヌシは「2人の息子が天津神に従うなら、この国を天津神に差し上げよう。その変わり、私が住むところとして、天津神の子供が住む場所と同じくらい大きな宮殿を立てて欲しい、そうすれば私の180柱の子神たちも抵抗しないだろう」と言った。
すると、大国主ために出雲国の多芸志(たぎし)の小浜に宮殿が立てられた。