日記

【日記】優しいコミュニケーション

投稿日:2019年3月16日 更新日:

理解不能な原因は自分にあるわけがない

やっぱ、なんか仕事をしてると色々と気になってしまうことがある。仕方ないからブログに書き起こしてしまう。

コミュニケーション/問題解決的なネタは結構書いてきたけど、まだまだ描き足りない。誰でも作業可能な形で作業フローを渡すとか、グラフィックとして理解するとか、結局は情報伝達/コミュニケーションの在り方を深堀してきた。それは結局、他者に配慮したコミュニケーションの形だと思う。自分のアタマで考えていない人は、コミュニケーションに優しくない。つまり、他者に優しくできない。

仕事=知的生産活動の根幹は、課題を発見して、どのように問題解決するかというアプローチの最適解を探ることにある。自分にはない最適解のアプローチを他者からクリティカルにアドバイスされることで、自己最適解の壁を突き破ることが重要。議論においては、重箱の隅を突くような無駄な時間をせずに、常にイシューとそのプライオリティを意識した中での話。

相手からクリティカルな批評を得るには、スマートなプレゼンテーションが求められる。僕たちは、基本的に毎日プレゼンテーションをしているわけよ。誰かに物事を教える時も、飲み会で雑談している時も、誰かに愛を伝える時も、全てがプレゼンテーション。スマートな人の共通事項は、プレゼンが上手いことにあって、逆に言えばプレゼンができないのはコミュニケーションが下手なのと同義であると思っている。

意思決定のためのスマートなプレゼンテーションが土台にあるからこそ、相手からクリティカルな批評を貰うことができる。他者の視点を授かって、自己最適解の壁を突き破っていく日々を送ることに、誰かと一緒に仕事をしている意義があるわけよ。そうじゃないなら、フリーランスで1人で仕事をしたり、ブルーワーカーとして毎日同じ作業を延々と繰り返すような日々を送ってもよくないスカ?

どうやら自分は与えられたタスクを毎日何となくこなして、日々を消費させていくことに恐怖心を覚えてしまっている。自分がこのままずっと何も変わらないままでいるようで、常に自分のアタマで考えていないと自分が許せない身体になってしまった。

自分の苦手な思考方法も分かりつつあって、それを解決するための手段も合わせて考えてやると良い。基本的にイメージ先行型なので、グラフィックで理解できないものを口頭で説明されても理解が追いついていないことが多い。

理解不能な原因は自分にあるわけがないんです。無理に理解しようとするんではなくて、自分が理解できないことが悪いのではなくて。誰もが理解できない状態のプレゼン資料で、議論をしている状態が悪い。時間コストを考えずに、ダラダラと議論をして、合意形成が取れたような雰囲気で議論が終わっても意味がない。何が課題なのか、誰かどうやって、どういう作業をすれば解決するのかを議論すべきであって、無駄は排除すべき。そんな時間はない!!!!!

どういう場所で、どういう手段と順序で、どの基準を用いて、いつから作業をするのかを明確にグラフィックとして頭に落とせていない状態では、他者からクリティカルな批評を得る段階にない。アジェンダと前提条件を簡潔にまとめた資料によって、議論場にいる誰かとの目線を揃えないことには、議論がスタートできない。

チェックリスト

モチベーション編

*幸福/哲学論
・自分の体調が正常であり、言葉が自然と湧き出てくること。
・自然体の自分を受け入れる。自分のアタマで考えるとは、個人の幸福活動を生産すること。
・自分がこの世に存在しないことを前提とする。幸福活動を追求することをライフワークとする。
・実存主義で問題解決には遠慮せず、構造主義でプロジェクトをとにかく回す。
・【実存主義】:年齢、役職、能力等で相手を判断しない。人間はアホでスケべで甘ったれで全員バカ。
・【構造主義】:タスクを処理することを最優先とする。機動性を持つセクションに任せる。

*違和感を察知した時の対処法
・心地よく素直に生きることで、違和感を敏感に察知する。
・論ずるに値する相手かどうかを見極た上で、出来る限りその場で処理すること。
・議論できない/感情的になる場合は、その場から離れること。
・重要なのはノイズを体内に蓄えないこと。別の意思決定作業に支障をきたさないこと。

作業編

*自己学習できる作業環境
・情報プラットフォームの整理、アクセス方法の簡素化
・労働環境のノイズキャンセリングを徹底(電話でタスク相談しないetc)
・単純作業はオートメーション化させる。アナログタスクを仕事にするな。
・誰でも作業可能な形で作業フローを渡し、最も処理スピードが高いセクションで対応してもらう。

*事務処理タスクのフロー(簡易版)
・作業時間の見積もりを、ある程度正確に設定する。
・課題解決するための仮説を複数立案し、最適な打ち手を決定する。
・ロジック構築のための情報を、短時間で抜き取る。
・意思決定に必要な資料作成を、素早く実行する。

コミュニケーション編

*問題解決の議論
・意思決定のためのアジェンダを強く設定。意見を過発散させずに、イシュー解決に向けた議論に機動性を持たせる。
・問題解決(仕事)の議論場では、他人の意見は自分が考えるための材料。問題解決では発言に躊躇しない。感情の議論ならファシリテーションで発散させる。
・作業時間、プライオリティ、打ち手の選定、実行のフローを徹底して扱う。
・汎用性の高い条件パラメータを変動させて、リアルタイムに最適条件を発見できるツールを扱う。
・現場の肌感覚が視認できるもの、情報量と質をアップデートする。

我慢のタガを外す

やはり享受してきた教育制度に問題があると思う。自分はどうすればモチベーションを創出/維持できるのかを、学校では教わらない。

紙と鉛筆だけを使って事務処理能力の査定をされ、子供達に学習を強要し、勉強しないと良い会社に就職できないという呪縛をかけられる。でも、良い会社に就職してどういうライププランを立てるかまでは教わらない。どういう環境で、どういう人たちと、何を食べて、どんな音楽を聴いて、どんな花を育てて、休日はどんな過ごし方をして、…そういう部分から自分のモチベーションを創出する方法を学んでいないのが原因であると思う。

自分のアタマで考えるための基礎訓練は必要だと思う。しかしながら実社会においては、自分1人で問題解決をすることはない。情報源となる過去の膨大な知識を前提として、それらを肌感覚で体験してきた人たちから暗黙知をシェアされることで、良質なアウトプットを導く必要がある。自己最適解を越えていくことに、規定された既存最適解をアップデートしていくことに、協働の意味がある。組織で働くことの意義は、自己最適解/既存最適解を越えていくことにある。

"やらなければならない"を軸に生きていることは、何も考えずにただ死を待つことと同じでは?例えば、明日から何もしなくても生きていけるだけのお金を渡してあげますよって言われても、じゃあ何をモチベーションとして生きていけばいいか分からない人がほとんどだと思う。有り余る時間に絶望して、わりとガチで自殺する人もいるような気がする。

何もしなくていい状態が本当の日常で。既存最適解を越えるための取り組みを他者と協働できるのは、本当に幸せなことだ。孤独で、何もしなくていい状態が日常であることをマインドセットすれば、誰かと意見交換できること自体に感謝することができる。以前にもこの話を別角度で描いた。

本来はディスカッションによる最適解の求め方とモチベーションを生み出す手法を、学校で教えるべきで。

自分の能力や知識不足を蔑んで発言ができなかったり、意思決定のための知識を補完する資料やアプリケーションを活用しないまま議論を進めるコミュニケーションの在り方は、絶対的に不要。
自分の発言によって議論の進行が遅れることを気にしたり、恥じたりする必要は一切ない。その状態では、コミュニケーションは始まらない。

複雑化した情報を相手にそのまま渡したり、明確な作業方法を伝えないまま。何か不安がある人ほど、声を大きくしがちだし、態度を大きく見せようと躍起になる。そういう人ほど社会通念に思想が侵されがちだし、承認欲求や自己顕示欲からモチベーションを創出しようとしているから人間として面白くない、美しくない。

何よりも、コミュニケーションに優しくない。

怒りに意味はない

主体性のないお偉いさん方によって、自分の意欲/モチベーションを阻害される発言や態度を感じた時、怒りのボルテージが芽生えてしまうことがある。自分の気持ちに素直になることを常に心がけているので、そういう場面に遭遇したときにも我慢しないように決めている。言いたいことは言っていいと思えるようになったのは、「嫌われるか、嫌われないか」とか「主体性を奪還する」の記事で綴ったのでここでは省略。

ただ以前に、議論して良い人間かどうかを仕分けしたことがあって、それを思い出さなくてはならない。誰でも彼でも、議論していいわけではない。私もいい歳なのだから、そろそろ人をちゃんと見ようと思う。

多分相手は悪気なんてないし、自然体で振舞っているだけなんだろうけど、"自分の正しみ"を相手に強要しているだけであるおっさんが多すぎる。考えることを放棄しているコミュニケーション態度であれば、その姿勢に吐き気さえ覚える始末。昭和の良い時代を過ごされてきた年齢層の方々の中には、頭を使って考えること自体を放棄していたり、コーチングに対しての知識が浅すぎる人が多い。

部下から投げかけられたクエスションのボールに対して、トスの上げ方を知らない。これはつまり、自分にも相手にもどうやってモチベーションを導き出すかを考えていないからだと思う。基本的に相手に何かをお願いする時は、相手が作業できる状態まで踏み込んで話をするべき。作業のプライオリティを共有して、作業ベースに置き換えて指示を伝えることが"最低限"の上司の務めであるように思っているけど、それが出来ない人が多くいることに幻滅し、モチベーションを失ってしまうことも多々ある。

部下に的確な指示が伝わっていないから、不要なアナログタスクに時間をかけてしまう。やはり私のモットーは「アナログタスクを仕事にするな」であって、意思決定のための作業を構築していないと生産性を上げることはできないと思っている。生産性を上げることができない人は、自己ハックできない、つまりは自分のアタマで考えることができない。そして、自己ハックできない人間=自分のアタマで考えることができない人間が、他者のコーチングを出来るはずがないのだ。

問題解決にあっては、相手に遠慮しない。自分のアタマで考えるを研ぐためにはそのアクセルを緩めるべきではない。ただ、その相手は選ぶ。

問題は怒りの感情が芽生えてしまうことにある。怒りの感情で生産性が上がれば良いのだが、私の場合は怒りは全く必要ない。自分の感覚を受け入れることと、怒りの感情で生産性を落とさないバランス。怒りの生み出さないのは、自分の感覚に素直になれば無理。でも、怒ったところで生産性は下がるだけ。あと、怒っている人は美しくない。

怒ることは全く意味がない。

退職者を見送るとき

先日、職場で退職者を見送った。その日がいつか来ると思っているけど、今の自分には関係ないと思っている人が大半を占める。

でも、私はそのことを自分事として捉えられる。誰にも必要とされない、何もしなくていい状態が普通なんだと受け入れられる。だからこそ、組織に所属していることが当たり前ではなくて、誰かと笑いながら仕事の話ができることが有難いと思える。

他人との関係性に悩むのであれば、まずは徹底的に自己対話をしては?と提案したい。外界との刺激を絶って断食ならぬ、断人(ダンビト)をやってみること。他者との交流を中心軸に据えるのは、他者依存に繋がりそうでどうも私には合わない。

つまり、自分との対話をやめないことが重要で。現代人は圧倒的に、自己対話が足りてない。そして圧倒的に、何かに対する情熱が足りてない。モチベーションを生み出す仕掛けを作っていない。つまりは、自分のアタマで考えるを原点に置いていない。

幸福追求力

自分のコンフォートゾーンをズカズカと荒らしにやってくる奴は、生活から排除しよう。"気配り"ができない人は、本当のところ信用されていない。精神的にも、物理的にも気配りの出来ない人間にはなりたくない。

仕事ができる人というのは、気配り上手な人間のことを指す。シュミレーションによってボトルネックを洗い出し、他者との議論によってその最適解を導き出し、スムーズにプロジェクトが進行できるように計らうことができる人を、仕事ができると私は定義したい。プライオリティの低い部分ばかりに注視したり、ツールを利用しない/アーカイブされない最適解を闇雲に探し回る手法はあまりにも非効率だ。

5W1Hを使って、どうすればプロジェクトを遂行できるかを共有する。記録に残して、グラフィックとして視覚的に、あるいは聴覚も利用してコミュニケーションをする。優しいコミュニケーションの方法は簡単ではないけど、合意形成を育む上で必要不可欠だ。多様性を容認しているからこそ、分かりやすい方法でシンプルに情報伝達をする必要がある。相手が気持ちよく作業できるように段取りすることを手伝うのが、仕事ができる人だと思う。頭の良い人は、気配りができる。他者が作業しやすい環境とツールを目の前に提供することができる。

そうそう、これは結局仕事に限った話ではない。プライベートでも何でも、主体性を持って自分のアタマで考えることであらゆる事象をハックできるかどうかが幸福を追求できる力になる。"ハックできるかどうか"が、幸福追求力になるわけ。

だから、決して簡単なことではない。自分がどんな時に、どういう状態で、どんなことをしていると幸せに感じるのか。それを実現するにはどうすれば良いのか、自分だけではなく他人に対しても同じように居場所と作業を提供するには…みたいなことを追求していくのが「幸福追求力」なのだ!「幸福追求力」を高めないまま、他者依存の状態で生き続けて幸福になれるはずがないと思います。

関係性ばかりに気を取られない

知らないことが恥ずかしいとか、他人の意見に同調するとか、どーでもいい。マジで、どーでもいい。人と同じ方法でやったって、自分には理解できないし、そこに幸せはないんだから、自分のやり方で社会貢献できればそれでいい。分かり合うことを前提として、コミュニケーションしなくていええんよ。本来、分かり合えるはずなんてない。

自分の意見を持てるようになるには、基本的な知識と、他人を評価/意識しないことが重要で。他人に文句を言ってる暇があったら、自己ハックすることだけ考えよう。

自分がすべきことは認知可能な枠の外から世界を眺めることで、自分がこの世にいないことを前提として、枠を外してゼロから思考をし続けたい。

人と一緒に暮らすのは、自分軸がはっきり出来てからでいいかもしれない。共依存の関係性のまま、何かを求め続ける間柄では生活が窮屈になるのは目に見えている。所帯を持っても孤独だし、究極的にはいつも1人だ。その意識があるかないかで、全然違ってくると思う。

やっぱり孤独が人間の中に滲み出てないと儚さが足りない、本質に日常がないとリアリティがないと思ってしまうのだよ。それは、作品であれ目の前で話している人間であれ、一緒なんだ。内側にある「ちゃんと強くて、ちゃんと弱い」があるかないかで、見える世界は変わる。

対話コストとは

前回、限られたリソースの配分について、ノイズキャンセリングとタスク管理手法を簡単に綴った。

そして、社会生活ではどうしてもコミュニケーションコストが高いが故に、問題解決へのスピードが遅れる場合が多い。例えば、何かやりたい!とか、こんな問題が生じてしまった!という場合に、誰に相談してそれをどうやって解決するかを理解していれば、課題や問題を解決する可能性が飛躍的に上昇するはず。

つまりは、「問題認識と解決手法を提示できる人間であれ」ということ。少なくとも何か困っているときに、相手に状況をきちんと説明できないようでは、受け手のコミュニケーションコストが高すぎて実行に移せないことが多い。

よくファシリテーションの技術でも議論される「コミュニケーションコスト」とは、何だろう。

コミュニケーションコストが低い

・話しやすい環境であること。
・直接顔を合わせて話をする。
・仕事においては、誰が、何を、どこまで、どうやってするかが明示されていること。

シンプルで汎用性の高いモデルを提示することが、一定規模のコミュニティには不可欠では?
そして、具体と抽象を組み合わせながら説明をする。根拠は事例については数字を用いた具体例を、そこから生み出された汎用性の高い価値観を抽象的に論じるのが最も分かりやすいプレゼンの形だと思う。

仕事に通うのはコミュニケーションコストを下げる為と言ってもおかしくない。
逆に、緊張感を生み出すことでプロジェクトの強度を高めていく方法論もある。

コミュニケーションコストが高い:高齢者の相手

仕事で高齢者を相手にすることが殊の外多いのだが、高齢者の相手をするのはコミュニケーションコストが非常に高いなぁと最近感じる。

おそらく組織の中でデスクワークをした経験のある人も少なく、意思疎通をロジカルに伝達する術を掌握していない人も多く見受けられる。そういう意味では、そもそもロジカルなコミュニケーションを要求することに無理があるのかもしれないが、かといって相手のペースばかりに合わすのはどう考えても阿呆らしい。

大抵の場合、電話で要件を長々と伝えてくるが、話の要点が分かりづらく、また論理より感情が優先される内容であったりして、とにかく自分の都合を散々とまくし立てて、相手の視点に立って話すという視点が皆無だったりする。

電話ではなくメールで連絡を取ったり、状況を写真や映像として伝えるというプロセスを踏まないのは、コミュニケーションコストが高い為に、問題解決への行動に移すまでの確認作業に時間を費やし、結果的にモチベーション維持が困難となる。

限られたリソースの中で、どのように成果を生み出すかを定義しておかなくては、結果的にサービス全体の低下を招いてしまう。

多様性を受け入れるローコンテクストな社会実装においては、受け手よりも"情報の発信者側"に意思伝達の責任がある。年長者だからと言って、コミュニケーションが優遇されるような時代は終わった。

"人口"という不可欠なリソースが減少していく中、必要な箇所に必要な量を分配できるかを、ローカルでは強く意識しなくてはならない。

「人に頼ること」の大切さ

最近になってようやく気づいたけど、「人に頼ること」が本当に下手だ。

内向的な性格が影響して、基本的に自分1人で生きていく事があまり辛くないのが主な要因かと推測する。

誰かに甘える事が上手な人とは、言葉に対する躊躇の間合いが違う。そういう人たちは自分が悩んでいる間に、とっとと誰かに相談して問題を解決してしまうのに…。

問題解決はスピードが命

問題解決においては、何よりもスピードが重要だと思う。今すぐ処理できるものはここで解決して、考える必要性の高い複雑なタスクに時間を費やすべき。

つまりは、「他人を利用しながら、自分のアタマで考える」に切り替えていく方がいい。

具体的には問題の本質がどこにあって、ボトルネックを自分で掴むその前に、他人と議論を始めている機会を意識的に増やし始めている。議論の中心だけを最低限整理しておき、あとはその周辺の情報を議論によってかき集めて整理する方がどう考えても手っ取り早いと理解した。

ただし、周囲の人間の声を信頼できるかは状況による。周りに相談したところで問題が解決しない、若しくはより複雑化するなら、発言に躊躇してしまうだろう。そういう状況であるなら、間違いなく今すぐ環境を変えるべき。

自分のアタマで考えるを実行できない職場環境であれば、自分がそこにいる必要はない。自分で考えるためにここにいる必要があるし、ボトルネックの原因が人間関係に左右されるものであり、自力では解決できないなら悩んでいる時間が無駄。これは、間違いない。

格好悪いが表現できない

なぜ日本人は不安や心配をあまり口に出さないのだろう?

かく言う私自身もそうなのだけれど、自分のマイナスを表現する事が極端に下手だ。

これは実体験だけど…どうしようもないくらいの失敗をしてしまえば、何となく気持ちが楽になる。「ちゃんとしなきゃいけない」がゼロになる。分からない事、出来ない事の方が当たり前だと思えるようになる。

偉大なるPファンクの創始者であるジョージ・クリントンの言葉から「人類はみんなアホで、甘ったれ」なのである。誰が偉いとかそんなものは鼻から存在しない。そういう視点を持てば、(モラルは守った上で)いくらアホなことを言っても良いと思える。実存主義的観点は偉大なのだ。

自分の弱さや格好悪さを表現できるようにならないと、「人に頼る」素地が発現しないのかもしれない。デキナイ事は可愛いし、知らない事があるから知的好奇心が生まれる。ゼロから物事を見る視点を持たないといけないのかもしれない。

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