日記

【日記】クリエイティブしか選択肢はない

投稿日:2019年2月5日 更新日:

友人との会合で。

転職を考えているという話を友人から聞いた。転職した方が給料が高く、都会にも居住できるらしい。

前提として、私が他人の人生にとやかく言う資格は全くない。ただ、転職すべきかを非常に悩んでいるようだったので、Being的な質問をしてしまった。

*質問事項
・給料が高くなることで、そのお金を使って何をしたいのか。
・転職後の仕事では、どんなことをしたいのか。
・都会に居住地域を移すことで、何がメリットなのか。…etc

その時は残念ながら、いずれの質問においても納得できる回答はなかった…。ってか、こういうことを聞くことがナンセンスかも。

確認したかったのは、幸福のプライオリティについてなんすよ。幸福のプライオリティをどの位置にセットするかで、どんな場所でどんな時間を過ごすかを決めることができる。それは人それぞれで、その人にしか答えはない。

何をし続ければ、自分で自分を肯定できるかを正面切って考え抜くしか無い。これは内的世界の記事で何回も綴った。

外向性と内向性

外的刺激によってストレスが軽減される人がうらやましい。

人付き合いによって、ストレスを軽減したり、日常的な孤独を埋めたりすることが上手く出来ない。原因はおそらく「内向性」にある。

内向性であることを自認することは、何か気取っているように見えて嫌だったけど、あらゆる角度から分析しても自分が内向性であることはおそらく間違いない。結構悩んでいるときに本を読んでた。

人と関わること

それは良くも悪くもあって、人付き合いによってストレスレベルを上げてしまいがちなのは、直接的に人と体験をシェアすることに向いていない。外出することや、人付き合いをすることが必ずしもストレス解消にならない。それどころか、エネルギーを消費してしまうことの方が多い。

人と何日も1日中一緒に顔を合わせる状態は、それ自体が適した環境ではない。そういう性質を理解しているから、飲み会の参加欄に×をつけてしまうけど、周りからお高くとまってそうに見られて恥ずかしい…けど仕方ない。

学生時は運動部で、どちらかというと率先して人と関わる方であった。当時はあまり気にしていなかったけど、無理をしていた部分もかなりあったはず…。私はストレスレベルが高まってた上で人付き合いをすると、どうしても「自分が悪い」が湧き上がってくる傾向にある。そして、最終的に自分のアタマで考えることができなくなる。そこには、何もメリットがない。だから、自分の心地良さは最重要項目に挙げていいわけよ。

何もやらなくていい

シガラミのない世界には、何もない。何もすることが決まっていないし、何もしなくてもいい。それが正常な状態であり、生きているとはそういうこと。

人間とは不思議なもので、やるべきことが目の前に用意されていない状態では、孤独と不安を感じてしまう。多くの人がそれに耐えられなくなって、他者に合わせた生き方を選択してしまう。

自分で意思決定をすること、自分が好きなことやり続けること、自己本位によって生活を組み立てていくことは、単純にしんどい。しんどいから、答えがすぐ出るメソッドに頼ってしまう。

自分で考えて、自分で幸福の答えを出していかないと、幸福のカタチは一生掴めない。別にそれでもいいのだけれど、少なくとも私はの場合は良くない。

"飢え"を活用せよ。

それで何が良くないかといえば、欲求の解消の仕方にある。人間の欲求は、生きている限りいつまでも尽きることがない。

大人は誰もが孤独で、不安と共に生きている。所帯を持ったとしても、お金が充分あったとしても、本当の意味で孤独や不安が解消されることはない。一生その状態が続くことは、受け入れなくてはならない。

また多くの人が、他人が持っていないような容姿や能力を持つことで承認欲求を満たしたいと思っている。欲求を肥大化させればさせるほど、さらなる欲求が生まれる。自分の幸福のカタチを手入れしていないから、他者に承認欲求を求め続ける。他人の為に行動することは悪いことじゃないけれど、もったいない。

"飢え"を活用せよ。満たされない欲求を簡単に消費するな。満たされない欲求は、クリエイティブの原動力になる。飢えた感情をクリエイティブに栄養として注ぐ。

他者との繋がりを安易に求めたり、麻酔コンテンツで飢えを癒しては勿体ない。

間違っても、それがなんだっていうんだ。

アナログタスクで忙殺されるな。

また、この話を繰り返す。ご批判を承知の上で、以前の記事よりもう少しクリティカルに考察してみたい。

以前の記事でも書いたけど、"busy状態"を自ら招いていませんか。アナログタスクによって時間を奪われている働き方は、ガチで見直した方がいい。アナログタスクを処理することで、忙しいと思い込んでいるのは、単に孤独の埋め合わせをしているだけではないですか?

仕事が忙しいを理由に、自分のやりたいことに焦点を合わせられていないことは本当に良くない。考える時間を与えられていないのではなく、自分で作り出せていない。もっと本質的な生き方に視点を合わせられれば、アナログタスクに時間を割いている暇はないし、そこに気づくはず。

幸福のプライオリティを設定せずに、目の前のことに囚われていることが、恒久的な幸福のカタチへ繋がるとは到底思えない。シガラミのない「正常な状態」に回帰した後、そこに何が残っているのか。アナログタスクはそもそもあなたが処理しなければならない課題ではない。誰だっていい。別にあなたがしないといけない課題ではない。

えーっと、だから仕事を適当にやっていいって話ではない。このことを理解した上で、アナログタスクに時間を奪われないことが重要で。意思決定のための作業を優先して、我々はイシューを高めていかなくてはならない。

自分のアタマで考える

アナログタスクで忙殺された先に、何があるのか。ちゃんと自分のアタマで考えないと。

アナログタスクを仕事と思わずに、自分のアタマで考えることを軸にして、シンプルに情報を整理していくことが私には重要。そういう姿勢で生活していれば、自分の心地よさを最優先で考えることができる。

自分のアタマで考えるをここまで主張し、徹底しようとするのは、私にとって最もシンプルな考え方であるから。

他人へ過剰に気遣いして、エネルギーを無駄に消費しない。能力があるとかないとかで、人を勝手に評価しない。自分を大きく見せようとしない。「自分のアタマで考える」というのは、生きる上で不要なノイズを消去して、課題解決のための意思決定を素早く実行していくことにある。常に自己本位で思考をスタートさせ、他者と協働するのが目的。

間違っても、それがなんだっていうんだ(ホドロフスキーのDUNEを見よう)間違ったとか、間違ってないとかすらどうでもいい。アナログタスクを仕事にしちゃいけねえ。

振り返り。

*まとめ
・内向的性質の強い自分は、人付き合いで孤独を埋めようとするべきではない。
・やるべきことがない「正常な状態」で、何を選択するか。アナログタスクで忙殺されている場合じゃない。
・満たされない欲求は、クリエイティブの原動力になる。飢えた感情をクリエイティブに栄養として注ぐ。

平凡な日常は続く

クリエイティブはマリオのスーパーピクロスでいう「ワリオステージ」に似ていると書いた。

アナログタスクの正解と作業フローは、正解の個数が少ない。それに対して、クリエイティブは正解か不正解かわからない状態で進んでいく。要素やパラメータ、視点を変えながらあらゆる可能性を探っていく。その作業は際限がなく、毎日が実験的だ。それがいい。平凡な毎日に、クリエイションは不可欠とさえ思う。

平凡な日常は続く。その平凡な毎日の中に幸福を見出すことが重要で。平凡がつまらないと嘆いてばかりいる人がいれば、その横で似たような平凡を楽しんでいる人もいる。要は、感性と視点の違いだ。

一過性の刺激によって生活を成り立たせている、今の時代の風潮を受け入れたくない。大量生産、短期消費の感覚が時代によってさらに研ぎ澄まされいる気がしていて、積み上げることが蔑ろにされている気風がある。ギャンブル、性的興奮、その他のドーパミンを刺激することによって得られる快楽のあり方は、私には合わない。

加速する消費社会に必要なのは、日常にある平凡な幸福を発見しようとする姿勢なのでは。

自分のために創作/記録をし続ける

これからの膨大な時間をどうやって過ごすかを考えれば、私の場合はクリエイティブしか選択肢はない。あ、膨大な時間があると思っていても、明日死ぬかもしれないし、それは誰にも分からない。

クリエイションによって、脳が快感を覚える経路を確保してやろう。そのためのツールと技術を持つために、毎日の作業を実行するのみ。日常生活で何に幸福を感じるか、クリエイションによって快感経路を確保できるか。その辺りを、ポートフォリオとして形成したい。

誰のためでもなく、自分のために創作と記録をし続ける。

私はいまはクリエイティブ/アーカイブ以外に選択肢はない。というか、それに専念したい。自分のアタマを使って意思決定をし、クリエイションの作業を行うこと。そのアウトプットを重ねて、アーカイブとして残していくこと。それだけでええ。

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