日記

【日記】嫌われるか、嫌われないか。

投稿日:2019年2月10日 更新日:

多様性の容認

主体性を起源とすること

コミュニケーションの話題について、数回に渡って綴っていく。

"多様性"という概念は、日本社会にも浸透しつつある。

例えば、LGBT/発達障害などのマイノリティ層が社会に認知されてきたり、働き方や教育学習の在り方についても広く議論されるようになり、ますます多様性の許容範囲を広げる動きが高まりつつある。IT導入での社会変革とともに、多様性を容認していく感覚を養うことは、当たり前の社会に変わり始めている。

これからの時代は、「分かり合えないことを前提としてコミュニケーションをすること」が当たり前の社会になる。これは、私たちが受けてきた教育制度には含まれていなかった概念だ。

多様性を容認し、それぞれの生き方を認める平成以降の社会においては、努力は主体性を起源としていなければ機能しない。時代の流れとともに、スパルタ教育の皮を脱いでいかなくてはならない。自分がやりたいことは何かを探求し、常に主体性を持ちながら生きる時代を容認すべきだと思う。

意思決定は必然

自分が心地よいを意識しているから、アタマが常に動いていることを優先させているだけ。

そのように心がけていることで、周囲の人に自分の考えを伝えることに躊躇しなくなってきた。相手の身分が上であれ、年上であれ、自分のコトバを自然と発することができるようになったと思う。

無理にそうしているのではなく、"自然に"という点が重要で。仕事が優先され始めると、役職によって意思決定をしたり、他者を叱責せざるを得ない時もあったりするが、そんなことどうでもいい。

アナログタスクで充満した作業を、仕事とは定義したくない。毎日を忙殺されるタスクが、労働量によって、つまりは努力と根性によって処理できる内容であればあるほど、作業の必要性を問う必要がある。

アナログタスクに囚われた世界で生きていると、生きる上で必要な意思決定のチャンスを逃してしまう。日本人は人に合わせるのが得意で、意思決定をするのが不得意だという統計データもあるそうだ。

自分のアタマで考えていることは、自分で意思決定を行うことと同義である。考え続けているのであれば、心地よく生きるための場所、時間、モノ、について考えていないはずがない。そして、そのための意思決定をしないはずがない。

言葉に躊躇しない

まだ嫌われた方がマシ

*信頼を得るには…

嫌われずに相手の意見に同意するばかりよりかは、まだ嫌われた方がマシ。相手に取り入って、可愛がってもらおうなどと思う必要は一切ない。

むしろ、自分のアタマを使った考えをしっかり発言することの方が、相手から信頼を得られる。自分の考えを伝えても、耳を傾ける素振りがない人間とは深く付き合わない方がいいし、年齢によって発言の物腰が変わる日本の風潮を意識しすぎる必要はない。人間は、みんなアホでスケべで甘ったれだ。

自分の意見を口に出すことは、結果的に信頼に繋がる。意思決定をする役職ほど不安なことはない。論理を整理した上で、複数の打ち手を提案し、プロジェクトの舵取りをサポートすることが、担当レベルで求められる仕事。自分の意見を口に出すのは、単にプロジェクトの方向性を口に出すということではなく、選択肢を整理して情報をシェアすること。実現可能性が高く、金額または時間のコストがかからない手法について提案することにおいては、発言内容を何も躊躇することはない。

*言い方だけ注意!でも、遠慮なんていらない。

これも学校で教えてもらえなかったシリーズなんだけど、他者の多様性を認める一方で、自分の多様性を認めて発言すること。相手に配慮した言い方で発言することは「基本中の基本」だけど、これが案外できない人が多いような…。つまりは、言い方の問題。

言い方さえ失礼でなければ、問題解決に向けて最適な手法を議論することについて遠慮なんていらない。たまたま会社で同じ職場に属しているだけで、本来はこの場に必要のない自分だからこそ、イシューについて論点を整理できる。この辺りは、考えることに躊躇しない方がいい。

議論している時に、感情が高ぶってしまうのであれば、議論を中断した方がいい。多くの場合、自分の考え方を相手に押し付けたい、相手を上手くコントロールしたいだけなので、そういう時は一旦その場から物理的に離れた方がいい。その議論が上手く行く訳がない。

実存主義と構造主義

間違って欲しくないのは、相手を説得したいからという理由で、自分の意見を主張している訳でもない。むしろ、自分の能力を信用していないからこそ、プロジェクトの違和感に対して躊躇なく指摘できる感覚がある。

この中での話なら、躊躇なく発言できる。目上の人にお願いするのって何となく気が引ける…と思っていたような気がするけど、プロジェクトの機動性と自分の心地よさを重視する考え方にシフトチェンジしてから、もーまじでどーでもよくなった。

これは"実存主義"がベースになっていて、「個を消す」ことが体に浸透し始めたことが影響している気がする。シガラミを削ぎ落とした後に残る本質は何かを無意識に考えている。人間は誰でもスケべで甘ったれで、誰が偉いとか偉くないとか、そういう評価を下すこと自体が間違っている。無知で当然であるし、間違ったから何だっていうのだ。特定の能力が低くてもどうでもいいし、私にとってはそのようなことで人間の本質を測ること自体がナンセンスに思う。

一方で、プロジェクトにおいてはそれぞれに役割があるという"構造主義"の考え方を取り入れている。だからこそ、アナログタスクは処理が得意な人に振っていい。自分の能力に自信がない人ほど、プロジェクトを進めるために他人を利用すべき。だって、自分の作業が遅いんでしょう?なのに、何で人に頼まないのか理由がわからない。

つまりまとめると、

*実存主義と構造主義
【実存主義】:年齢、役職、能力等で判断しない。人間はアホでスケべで甘ったれで全員バカ。
【構造主義】:タスクを処理することを最優先とする。機動性を持つセクションに任せる。

っていうことなんです。実存主義と構造主義は対立軸にある考え方らしいけれど、使い分けてどっちも上手く活用すればいいじゃん!

どう見ても自分より賢い人が書いた文章があったので、URL載せとく。
http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/newpage628.html

シガラミのない世界から視点を持てるようになったことで、自分がバカであることがどうでも良くなったし、他人の評価を本当に気にしなくなった。その結果、相手に関係なく平等に自分の考えを発することができるようになったのでは…と考察している。

考えすぎ?

「考えすぎだよ!」とか、誰かに言われたり、他人に言ったりもする。

考えすぎの対象が何なのかによって、「考えすぎ」かどうかが決まってくる。自分のアタマで考えるを実行している場合、「考えすぎ」という概念はないと思っている。考えれば考えるほど、思考する対象の分析が進む訳で、考えること自体に制限などない。つまり、どこまでいっても考えすぎはない。

「考えすぎ」が発症するのは、他者評価に依存するものだと思う。例えば、「他人にどう思われるか」について考え続けていても、本人に聞かないと分からない。「考えすぎ」というより、考えても仕方ない。そしてむしろ、考えない、気にしないほうがいい。

自分の心地良さに正直になれると、他者の目線を気にしない性格になってくるもの。ここでいつも注意書きをせざるを得ないが、人に迷惑をかけることは自分の心地良さに一致しない。すなわち、公共スペースで狂気を発散しないこと、承認欲求や自己顕示欲によって生きないことは以前から何度も繰り返し念じている。自分はそれを意識しすぎているから、可愛げがないんだよなぁ…。

そのようなことも含めて、自分の心地よさに正直になるべき。相手がどう思うかよりも、いつも自己本位から思考を始める。自分のアタマで考えることが、幸福を構築する土台になる。

議論して良い人間か否か。

この世界には、正しみを主張することで承認欲求を得る人間が存在する。社会全体の幸福とは別に、自分が正しいことを主張し、如何にも真っ当な意見として相手を納得させることに、自尊心を満たす輩がいるのだ。

そういう人間は、鼻から人と分かり合おうなんて思っていない。目的は、自分の正しみをぶつけて、相手を服従させることにある。そういう人間は、絶対に相手にしてはいけない。

私もそろそろ、「議論して良い内容か、議論して良い人間か」を見極めてコミュニケーションをしよう。主体性を失う要素が1つでもあるような議論に関わらないようにしよう。

人に我慢してはいけない。我慢するとアタマの働きが悪くなり、幸福度が下がっていく。最も手っ取り早いのは、物理的にその人からさっと離れることだ。

自分の気持ちに正直になって、違和感を察知することは忘れず、アンテナが反応した場合にそれを口に出して議論すべき相手かどうかを判断する。

*服従を目的とした事案

数年前の話だけど、違う部署に所属しているお偉いさんから呼び出しを受け、今すぐ謝れ!と恫喝されたことがあった。その人とは、ほとんど面識がなく、喋ったこともなかったが、高圧的な雰囲気があったので普段は近づかないように心がけていた。

お叱りを受けた内容をよくよく聞いて内容を整理してみるが…どう考えても自分が悪いとは思えない。近くの人に相談しても、謝る必要はないと助言された。ただ、その時の仕事が忙しかったこともあり、その場を凌ぐために謝罪した。

それから数日が経過して、少し仕事が落ち着いてきてから、納得がいかない気持ちがぶり返してきて、やっぱりきちんと言い返すべきだったなぁ…と数年前の自分は思っていた。

でも、今思うと言い返さなくて正解だった。議論しても仕方ないし、無駄にエネルギーを消費するだけ。そういうことに時間とエネルギーを搾取されることが勿体無い。謝罪してそれで終わるなら、その方がいい。

おかしいことをおかしいと反論することもできるけど、議論すること自体が間違っている。その場を適当に収めてエネルギーを消費しない方が絶対に良い。そういう相手に付き合ってあげないのが正解。

嫌われるか、嫌われないか

ノイズキャンセリングを徹底する。

自分のアタマで考えるを実行していくと、違和感を察知する能力が高まってくる。心地よくない感覚を放っておくことなく、できるだけその場で処理してしまうことが、次の意思決定作業に切り替える上で重要。

無駄なノイズを放置しておくとそこにエネルギーを奪われてしまって、別の作業に支障をきたす。ノイズを体内に溜めないことが、マルチタスクで意思決定を素早く実行していくためには必要。これは、仕事でもプライベートでも変わらない。

*違和感を察知した時の対処法
・心地よく素直に生きることで、違和感を敏感に察知する。
・論ずるに値する相手かどうかを見極た上で、出来る限りその場で処理すること。
・議論できない/感情的になる場合は、その場から離れること。
・重要なのはノイズを体内に蓄えないこと。別の意思決定作業に支障をきたさないこと。

優しい問題解決を目指す。

ノイズキャンセリング側の意見を綴ってきたけど、当然に逆の場合もある。

同じ内容の相談をしていても、受け手によって問題解決が円滑に進むこともある。すごく悩んでいることでも、「緩和の力」を持っている人と一緒に話していると、問題を柔らかく解決できる。

同じ空間にいるだけで、心地よさを演出してくれる人もいる。それは合う、合わないの領域なので、自分が変えることはできない。自分が心地よく仕事ができる人となるべく近くにいるしかない。

機動性を持ち合わせた上で、優しく問題解決をしていきたい。

嫌われるか、嫌われないか(まとめ)

要点

*各記事の要点
#1:主体性を起源とすることが、生きる上では必須。
#2:実存主義で問題解決には遠慮せず、構造主義でプロジェクトをとにかく回す。
#3:素直に生きることで、違和感をきちんとキャッチすること。
#4:適切なノイズキャンセリングを講じること。

期せずして哲学と問題解決を駆使した内容になった気がするけど、そんなに大したことは綴ってない。別に仕事なんてどうでもいいけど、自分が心地よい環境を最適化していくには、嫌われることもあっていい。ってこれは、ブログ書き始めて1番最初に読んだ「嫌われる勇気」の内容を踏襲した感じになった(これも思いがけず)

若い人たち向け

*「使用上の注意」はもう必要ない

嫌われる勇気の感想の最後に「使用上の注意」を綴っているけど、若い時は難しいよねぇ〜。20代で社会人になったばっかりだったら、可愛がってもらう方を優先する場面も必要だったりするし。

年齢的に躊躇なくコミュニケーションできるようになってきたのは、アラサーになって周りからの目が変わってきたのと、単純に知識レベルが上がっているのもある。だんだん可愛がってもらおうなんて思う必要がなくなってきて、人間関係がかなり楽になってきた。だから、今の私はあの時に書いた「使用上の注意」はもう必要ない。

情報処理能力の高い20代の優秀な人材を潰してはいけない、とマジで思ってます。本人の処理スピードが速いのに、周囲のダメな大人のせいで、主体性を損なってしまうパターンをよく見かける。

*主体性のない大人との付き合い方

主体性のないダメな大人に時間とモチベーションを搾取されないことが大事なんだけど、若い時はそれが上手くできない。それは単純に知識がなくて、プロジェクトの全体像とタスクのプライオリティを把握していないからだと思う。

ダメな大人は、知識があるのに機動性を上げる工夫をしない。ダメな大人は、忙しいを連呼して、アナログタスクに対する工夫を講じようとしない。担当が若いからってことだけで、プロジェクトの機動性を舐めてかかってくる。相手の年齢で、立ち回りを変える大人ってマジで反吐が出る。

そういうダメな大人とプロジェクトを回さないといけないのが20代は辛い。いや、私はつらかった。そういう人間に時間を搾取されたらいかん。専門性の高い知識を振りかざして、わざと作業時間を伸ばしてくるような輩ばっかり。年齢で相手を判断してくるような大人は、1人残らず抹殺したい気持ちは私も一緒です。

こっちができることは、相手に依頼する内容を出来るだけ簡潔にして、締め切りをきちんと設定することくらいかなぁ…。それでも時間内に要求した成果を納品してこない奴は、自分以外の誰か(できれば上司)にバトンタッチして、絞め殺して催促してもらうこと。残念ながら、それくらいしかできない。

ダメな大人のせいで自分の主体性を失いそうになったら、出来るだけ物理的に離れるが吉。担当変えてもらうとか、どうにかした方がいい。そんなことでノイズを溜め込むのは、マジでよくない。

「機動性がないプロジェクトが良くなるはずがない」のが私の信念。

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