日記

【日記】意思決定に繋がるための作業。

投稿日:2019年1月30日 更新日:

何となくやれてる。

なんか最近、アーカイブ中毒でさらに身体が侵され始めていて、作曲とか映像とか今まで以上にやっている。

だけど、「絶対に作品を作ってやるんだ!」みたいな強い意志がある訳ではなくて、どっちかっていうと「やることが他にないからやってる」だけ。だから、アーカイブしかやることねぇ…って感じ。

そういえば、数年前だったら作曲を習慣化する為にキーボードの前に毎日座ってLogicを立ち上げよう!って自分を強制的に動かそうとしてたんだけど、それすら続かなかったな…。で、昔出来なかった習慣が、今出来ているのってなんでだろうー?

習慣になってきてる?

いつもみたいに、堅くて真面目な記事を書こうとしている訳ではないんだけど、でもこうやって昔やろうとしても出来なかった習慣化が、できるようになっているのは自分でも不思議だったりする。

おそらく、作業のハードルが下がって、初動が早くなっているのが1番の要因だと思う。MacのPCを新調して、ハードウェアの操作性を上げたり、それぞれの編集アプリケーションの機能技術の基本操作が何となく分かってきたのもある。

ってか、前はどんなことに時間を費やしていたのだろう?確かにほとんどテレビを見なくなったし、諸事情と年齢の影響で周囲との交流関係もさっぱりしたこともあって、自分の作業に没頭できる時間が増えたのもある。

その辺の要因かなぁ…。あとは、やっぱ人生は暇つぶしで、やってもやらなくても一緒だっていう楽観的な気持ちがあるのも強い。作業しないときは全然しないし、やりたいときにやってる。

仕事とプライベートの違い

実は仕事も同じ。やらされている感覚はなくて、というか主体性失ってたらタスクをやらないって決めている。承認欲求と自己顕示欲を発散させることは職場で超絶に注意しながら、暇つぶしの感覚だけで仕事やってる。

逆に、仕事が休みで家にいたとしても、結局は作業してる。だから、仕事もプライベートもアタマを働かせている状況には変わらない。作業内容が違うだけで、アタマの働き方は一緒なのだ。

とにかくアタマを働かせている状態を維持しているだけで。その状態であれば、家も職場も変わらん。なんか、そういう感じがある。わからんかも知れんけど。

1回やり始めたら結構集中して作業を進められたりする。この辺は、作業フローを意識して抽象と具体を繰り返していくノウハウが適応できているのもあるかもしれん。自分ってパソコンを使ったちまちました事務作業がそもそも好きなんかもしれん。そこに汎用性が見いだせれば、作業内容なんて何でもいいのかも。なんつーざっくりした人間なんだ…。

ブログで言葉の発散&収束を高速でタイプできるようになってきて、それがもろ仕事に生かされている。会話しながら、wordに情報を整理するような術を最近になって編み出した。そういうこともできるんだなぁ…。

色々書いたけど、人生は暇つぶしを受け入れて、アタマの働いている状態を維持することだけ考えている。

そういうシンプルな考え方がええかもしれん。目標はそんなに決めずに、今年はこんな感じでいけたらええな。

仕事における意思決定のスピード

仕事における意思決定のスピードについて、さらに考察したい。

キャッチボール

作業がスピーディーに進んでいくことは心地よい。私の働き方において、機動性は最重要事項の1つだ。

そのため、私の場合は納期を守らない/守れない人間と相性が悪い。「待つことが人間関係における戦略」であることは承知しているつもりだが、こと仕事に関しては、必ずしもその思想が適応できると思っていない。

私の場合は、所定の時間を過ぎてから仕事の報告が上がってくると、プロジェクトに対するモチベーションが下がり切ってしまう。キャッチボールで仕事をする場合、投げたボールが帰ってこないと相手と信頼関係を築きにくい。これは、自分の性格だから仕方ない。私の場合は、相手から帰ってきたタスクの完成度が低かったとしても、レスポンス速度が迅速な人の方がプロジェクトを円滑に進行させやすい。

「自分の心地よさを容認する」というマインドが形成されてから、レスポンス速度の遅い相手と円滑な関係性を築くことにより消極的になった。確かに、レスポンスに関しても得手/不得手があるのは承知しているが、ビジネスにおいては通用しないと思っている。キャッチボールが上手くできない人とは、良い仕事ができない。何よりも自分が心地よく仕事をすることができない。

多分、私はスピード感がないと意思決定することができないのだと思う。ゆっくり滑ってしまっては、滑走路から勢いよく飛び立つことができない。意思決定には、一定以上の速度が不可欠なのだ。

楽をする≠合理的に考える

本来、コミュニケーションをすることによって意思決定のスピードは向上していくべきである。それなのに、問題提起ばかりで解決策とその手段を打診しないような上司とはおさらばすべき。タスクが山積していく中で、いかに処理スピードを上げて生産性を高めるかを求められないのは、指導者として失格です。

最適化論で提示しているように、作業時間の見積もり、適切な情報の抜き取り、資料作成のアウトプットを意識して仕事をこなすためにだけに尽力すべきである。重箱の隅をつついて、課題を煩雑化させるためにこれまで経験を積んできた訳ではない。プライオリティの高い部分にロジックを積んでおき、そうでない部分についてはなるべく時間をかけない、普通そう考えませんか?

「楽したい」という言葉は軍隊教育ニッポンでは悪いように思われがちだが、機動性を担保しながら課題解決をするのに合理性は不可欠。毎日のアナログタスクを疑ってかかる必要がある。どうすれば処理スピードを上げて、プライオリティの高いタスクに注力できるかを考えなくてはならない。努力して特定のアナログ作業の効率が上げたとしても、数年後にはその作業をAIが代替することになる。

最も重要なのは、意思決定のスピードを高めて合理的に物事を判断できる精度を高めていくこと。アナログ作業の処理スピードが上がったからと言って、喜んでいる場合じゃない。

アナログ作業は代替させ、意思決定を。

課題解決に当たって、私たちが最優先すべきことは、①課題(原因)の細分化、②仮説の立案、③最適な打ち手の選定、④実行プランの作成の流れをフレームワークとして使用し、作業時間の見積もりを適切に測って実行することにある。プロジェクトを進めていくと、何処かに歪みが生じてくることはあるものの、準備段階でタスクのプライオリティが高い部分に注力をかけていれば、プロジェクトにそこまで大きなズレは生じてこない。

何でもかんでも自分でやるのが正解ではなく、アナログな作業は誰かに任せるのも良いアイデア。アナログな作業ばかりに時間をかけて、優先すべきタスクに時間をかけていないほうが問題。「楽をしてはいけない」という思想に取り憑かれて、重要な部分に時間を注いでいない方が大問題。楽をしていいから、重要なタスクに必要な時間と手間をかけた方がいい。

特にこれからの時代は、アナログ作業を機械に代替させて、意思決定ができる人間だけが必要とされる。最終的には、タスク設定〜課題解決に至る全ての作業をAIが行う時代がくる。いわゆる、シンギュラリティの時代が到来する。そんな時代において、我々が毎日実行しているエクセルに数字を入力するような作業が、ビジネスとして成立するかどうかは定かではない。この話はデスクワークに限った話ではなく、ブルーワーカーと呼ばれる現場従事者においても同様。

そんなのずっと先の未来の話で、"おとぎ話"だと言う人もいるが、実際にはそうならなくてはいけない。マンパワーが足りなくなるなら、システムによって人材を代替していかなくてはならない。毎日与えられているアナログのタスクがどうやったら簡素化できるかを常に頭に入れて、仕事をするべき。アナログのタスクをいま時間をかけてやるべきなのかを考える必要がある。そんなことに時間をかけなくていし、アナログタスクが機械に代替されることを想定し、むしろアナログタスクを避けるべきと私は思っている。

AIが策定する課題解決案を見比べた上で、意思決定をしていかなくてはならない。だからこそ、コミュニケーションが最大の武器になる。意思決定を向上させるための働き方を実践していくことが重要。何度もいうように、特定のアナログ作業の効率を上げるトレーニングばかりをしていてはいけない。作業時間と精度のズレを修正していくために、「意思決定に繋がるための作業」を常に意識したいところ。

趣味に関する意思決定のスピード

先ほどとは変わって、趣味に関する意思決定のスピードについて考察したい。

自己本位と多様性のバランス

とはいえ、少し話を横に振りたい。

「自分の考えを持て!」とか、「個性を持て!」とか言われるけど、それって強制されることではない。そうじゃなくて、「自分の心地よさを持て!」と言いたい。人から何を言われようが、自分が素直であり心地よい状態で、アタマが働いていることが絶対に大事で。環境に適応して相手の考え方ばかりを尊重するのではなく、まずは自己本位が最優先。ワガママだと思われる可能性もあるが、自分の心地よさに素直になれないと、"自分のアタマで考える"を容認できるスイッチを押すことができない。

相手と考え方が違うことを容認し、能力が劣っていることを自分もしくは相手に感じたとしても、別の角度から最大限に人間の適性を活かす術を考えたい。ただし、承認欲求と自己顕示欲で満たされた勘違いをしてしまう人は、自己本位の意味を履き違えてしまう場合もある。自己本位が中心軸にあるものの、多様性を容認できなければ本当の意味でも信頼は得られない。本質で物事を見つめられない人は、消費行動によって生活を維持してしまう。つまりは、自らの生産(クリエイティビティ)によって幸福感を作っていくことができない。

"自分のアタマで考えるスイッチ"を押せるかどうかは、能力があるとかないとか、知識があるとかないとか、そういう観点で判断するのではなくて、シガラミのない世界の中でそのスイッチを押すべきであると私は思っている。

自分のアタマで考えた上で、意思決定を選択していく。仕事では任せられたセクションに応じて、役割をこなしていくしかない。それは、仕事だけでなく家庭でも、コミュニティに属していれば役割を全うすることが、プロジェクトを回す上で必要。

だけど、本質は違う。鼻から人間に仕事なんてないし、コミュニティの役割なんてないし、そんな偉いもんじゃねえ。勝手に割り当てられた"役割"に染まってしまえば、本質を見失うことになる。これは、現代に生きる多くの社会人に言えること。その仕事、別にあんたがしなくてもいいからね。

前回の記事では、作業に集中するシンプルな考え方と題して、「人生は暇つぶしを受け入れて、アタマの働いている状態を維持すること」だと考察した。それに加えて、自分にしかできないことで、かつ持続可能な作業で生活を満たしていくことが幸福につながるような気もする。「自分にしかできない」という言葉だと少し傲慢な気もするが、感覚的に楽しく継続して続けられる作業であれば、結果的にオリジナリティは創出される。個性など、アウトプットをし続けた後に意図しない形で出現するものだと思っている。

答えのないクリエイティブな作業

突然だが、「マリオのスーパーピクロス」というSFCのゲームをご存知?

その名の通り、ピクロスとは画面の上と左にある数字を手がかりにフィールド上のマスを塗っていき絵を完成させるゲーム。表面のマリオステージでは不正解のマスを埋めてしまうと罰として制限時間が減っていくのだが、裏面のワリオステージには罰則がない。

クリエイティブな作業は、このワリオステージに似ている。ワリオステージでは、そもそも制限時間という概念がなく、ゲームオーバーすることがない。正解か不正解か分からない状態でマスを埋めていくのだ。例えが合っているかいまいち自信がないが、クリエイティブな作業はまさに正解か不正解か分からない状態で作業を進めていく。

仕事では、正解が決まってないグレーゾーンの話になると、実現可能性や金額比較によって妥当性を考慮し、なるべく短時間で意思決定をする場合が多い。というか、そうしなくては物事が進まない。

一方で、商業利用しないクリエイティブな作業においては、いくらでも時間をかけられてしまう。時間をかけられてしまうのは、良い面悪い面があると思うのだが、私の場合は機動性がないと意思決定の滑空が勢いよくできず、制作が滞ってしまう。アウトプットまで到達するには、どうしてもスピード感がいる。

なにせクリエイティブな作業ほど、自由度が高い。自由度が高いと、意思決定が難しくなる。これはマイルス・デイビスがモードを発案した時に周囲のミュージシャンが困惑したのと同じ。

自由度が高すぎて身動きが取れないなら、あえて制約を与えてみるっつう方法があって、今試しているところなのだが、かなり長くなってきたので、またいつか記事にしたい。

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